2011-01-01から1年間の記事一覧

(その七十七) モーリス・ユトリロ

彼の生活は悲惨だった。学校では殴られ、母親には見捨てられ、夜家へ戻っても慰めたり、力づけてくれる人もいなかった。そこで、彼は宿題をいい加減に片付けて、台所にブドウ酒のビンを捜しに行くのだった。 恐るべき事実、それはモーリス・ユトリロが八歳の…

観察の技法 小川紳介『ニッポン国古屋敷村』(1982)

観察が行われる。撮影のまえに、ただなかに、あとに。時制が異なるだけで、観察の方法も違えば対象も違う。だから、目を見開き、耳を澄まさなければならない。よりよく観察するためには、生活を変えるだけでなく、ものごとの見方から変えなければならない。…

ヤクザ研究ノート(1)

かつて山口組組長三代目田岡一雄は、マスコミに向かってこう語ったことがある。 「もし国が組員の更正のために、一人三〇〇万ずつ更正資金を与えてくれるなら、山口組は明日にも解散する用意がある」。 おりしも警察庁は一九六一年から「暴力団全国一斉取締…

本屋にて

吉祥寺のビルの地下にある本屋で、以前から気になっていた本を探していると、女が声をかけてきた。かげでこそこそしかけたいたずらを見つけられた少年のように、私は身をすくめて手に取った本を急いで棚に戻した。声の主に目線を移すと、女は私ではなく本棚…

声の複数性 『1000年刻みの日時計 牧野村物語』(1986)

村を漂う声には複数の響きがある。手で触り、耳で聞き、目で見る感触は、大地を流れる時間に反応する。時間の速度が一定していないように、人間に深さの認識を与える感触はその器官の機能の違いによって伸び縮みする時間を捕捉する。排水されずにヘドロと化…

教訓の検討

『イソップ物語』(岩波文庫版)から、よく知られた話を引用する。タイトルは、「農夫と息子たち」である。 死期の迫った農夫が、息子たちを一人前の農夫にしたいと思って、呼び寄せてこう言った。 「倅たちや、わしの葡萄畑の一つには、宝物が隠してあるの…

(その七十六) 嘉男

ともかく嘉男は、なんにも知らなかった。それだけだった。 体重計に乗れば、いつもメーターの針は「57」のところで止まってしまう。別に何をどうしているわけでもなくて、それでも体重はずーっと一定だった。「ちょっと痩せてるかもしれないが、ともかく平…

喜劇の上昇運動 『ロイドの要心無用』(1923)

『ロイドの要心無用』(1923)の上映時間は六七分だが、体感としては『キートン将軍』(1926)の二倍ほどに感じられる。後者はいくつかのヴァージョンがあるとはいえその上映時間がおおむね七五分から一〇三分であることを考えれば、この印象は考察…

ピューリタン風のディズニー映画 エルンスト・ルビッチ『天国は待ってくれる』(1943)

戦時中に製作された、ひとりのドン・ファンの生涯を描く映画――ということで、猟色家のカサノヴァの人生をいろどるにふさわしいエピソード群(性の目覚め、恋の手練手管、駆け落ち、不和をまるめこむ巧みな話術、数々の浮気)をまとめるエルンスト・ルビッチ…

(その七十五) ウィドリントン夫人

……彼女は彼に愛の技術を教えた。「地獄に悪魔を全部蓄えておく炎のような情熱」を持つ彼女は、彼の愚鈍さを罵り、臆病さを笑い、最後には自分が彼に恋をした。 ヴァージニア・ウルフ『ロジャー・フライ伝』宮田恭子訳 みすず書房 一九九七年九月一二日発行 1…

(その七十四) サルバドール・ダリ

過去にさかのぼってまで「野生の状態に」ある美を識別し、同時にまたそれを本来のなかに投影してきたということが、シュルレアリスムに対して、この〈美〉の、くりかえし可能な若さの独り占めを保証するはずである。その点からして、シュルレアリスムの表現…

(その七十三) 日本の政治家

「悪いことをしても決して逮捕されないほどに悪い」――それが日本国民の思う政治家なのである。 橋本治『二十世紀』(一九七四年の項)毎日新聞社 二〇〇一年一月三〇日発行 345頁 一九七四年は、リチャード・ニクソンと田中角栄というふたりの大物が辞任した…

(その七十二) アメデオ・モディリアーニ

モディリアーニの肖像画では、モデルの個性を表すのにふさわしい手法によって、その身体の一部分が示される。顔や眼、あるいは両手など身体の一部が慎重に選択され、強調されることで、モデルの人間性が象徴的に画面に示される。モデルたちは、頭を支えてい…

(その二十四) 涼む

蒸し暑い晩だということはもう話したね。そんな日がずっとつづいとって雨も降らず風も吹かずという晩だったから、花月辺に住んどる者は夜中の十二時になってもまだうろうろ歩き廻ったりしとったとだから。竹風なら高台になっとるから幾分でもしのぎやすいが…

(その七十一) ブラッサイ(ジュラ・ハラース)

ブラッサイの「落書き」に関する仕事で何よりも特徴的なのは、それが一挙にまとめられたわけではなく、展覧会、雑誌などで、長期にわたり断片的に発表されていったということと、その都度彼が異なるスタイルの文章を試みているということである。一九五六年…

(その二十三) テイクノート

三年前、僕の書いたものが初めて単行本になった。「作家」「先生」と呼ばれるのにあんなに憧れていたのに、書き連ねたものをまとめただけだから感慨はない。 郵送してくれればいいと言う僕に、若い編集者のMさんは「出来上がった本を著者の方にお届けするの…

(その七十) 藤田嗣治

「ただ殴らないということだけが、優しい夫ではないのよ。あなたの小父さんは、一度だって手荒なことをしたことがなかったわ。何時も何時も優しかったわ。でもね、本当には優しくなかったのよ。それが分ったのは、ずっとずっと後のことだったわ」 ユキ・デス…

職人ジョニー・トー

ひとりの映画作家が生涯に扱いうる物語の型はどれくらいあるだろうか。片手で余るものもいれば、気にしたこともないほど多様な型をとっかえひっかえするものもいるだろうが、ジョニー・トーが扱いうる型は、数えて正確に五つである。この数字に関する限り、…

会話

何日かまえの早朝、スーパーマーケットで水を買おうと手を伸ばすと、横から現れた主婦にむしり取られた。その話をすると、彼はさも興味なさそうな顔でうなずいた。 「世のなかには買占めを糾弾する声もあるそうだが」と彼は前置きしてつづけた。「そんな未練…

魔法の一振り アッバス・キアロスタミ『トスカーナの贋作』(2010)

男と女がいる。 女は男の顔を見て思う。この人は結婚式の日にも髭を剃ってこなかった。一日おきに剃る習慣だから、今日はたまたま剃らない日なんだ、といって。あれから十五年経った。今日もこの人は無精髭を伸ばしている。剃らない日だからって。馬鹿にして…

(その六十九) 佐伯米子

一九二三年の秋、渡航のために新橋にある米子の実家に預けていた荷物が震災で焼けだされた直後は、とうぶんのあいだは東京で不便をしのんでいるしかないと相談しあったものだった。多くの知人を亡くした。運よく住まいを失わなかったものもいたが、友人の何…

(その六十八) ベイヤード・サートリス

それからまた、そうした戦争帰還者の中に、ベイヤード・サートリスがいた。彼は一九一九年の春帰ってきて、見つけることのできる一番速い自動車を買い入れ、郡じゅうを乗り廻したり、メンフィスへいったりきたりして暮らしていたが、(われわれはだれもそう…

(その五十七) 安藤

明治のはじまりは、まだ、余勢があって、すもうの柏戸や、相模政五郎や、一中ぶしの家元の菅野序遊だとか、吉原の幇間の桜川なにがしだとかが、昔日通りに出入りし、もの日祝い日の催しには、はなをまきちらして、それを家の格式、繁栄のしるしとおもいこん…

(その五十六) ハイム・ナーゲル

ハイム・ナーゲル氏。ナーゲル氏の分別、忍耐、親切、勤勉、機知、頼りになる感じ。自分の領域であまりにも完璧に行動するので、他人からあの人たちは地上のあらゆる領域ですべてに成功するに違いないと思われる人びと。しかし彼らが自分の領域を越えないと…

(その五十五) P

Pは、ある死体から銀の貞操帯を鋸で切って外した。彼はルーマニアのどこかで、その死体を掘り出した人夫たちを押しのけ、自分が記念に欲しいと思うある貴重な小さなものがそこに見えると言って人夫たちをなだめ、帯を鋸で切ってあけ、骸骨から取り外したの…

(その五十四) ドリーナ

「あたしにはもう、若い男に目くばせをする娘までいるのですもの、そうじゃない?」 チェーザレ・パヴェーゼ『青春の絆――パヴェーゼ全集5』河島英昭訳 晶文社 一九七五年四月三〇日発行 158頁

(その六十七) ギャヴィン・スティーヴンズ

「はい」と彼女がいう。それは金のライターだったのさ。「あなたがこれを使いたがらないのは、知っているわ。だって、ライターでパイプに火をつけると、油のにおいがするって、いってたから」 「いや」と検事がいう。「わたしがいったのは、わたしにはそれが…

(その六十六) 野間三径

中学生は仇名をつけることの天才だ。うす菊面のある国語の教師には「かたぱん」、同級の月足らずのような少年には「血塊」、顔色の悪い黄ばんだ少年には「うんこ」、僕には、「こんにゃく」という仇名がつけられた。漢文の先生の野間三径には、「にせ聖人」…

(その六十五) 百田宗治

百田のことは、それまでにも富田の口からいつもきかされつづけていた。彼はまだ、故郷の大阪にいて、大鐙閣という本屋につとめながら、詩を書いていた。ストリンドベリーの研究をしていた藤森という男と二人で、雑誌を出していた。藤森が死んで、百田がいよ…

(その六十四) 鼻のぽん助

虹口辺で、中国人と合弁でハイヤー会社をやっている中尾という人物――この人物は、京都等持院の撮影所にいた頃の岡本潤の友人で、自称アナルシストの、地方の小ばくち打ちのあんちゃんのような人物であったが――から、謄写版の機械を借りてきて、一昼夜で書き…