声の複数性 『1000年刻みの日時計 牧野村物語』(1986)

 村を漂う声には複数の響きがある。手で触り、耳で聞き、目で見る感触は、大地を流れる時間に反応する。時間の速度が一定していないように、人間に深さの認識を与える感触はその器官の機能の違いによって伸び縮みする時間を捕捉する。排水されずにヘドロと化す稲田から山向こうに広がる蔵王山麗の豊富な水源、観音像の落ちた小川から積乱雲の膨れ上がる空の天井まで、声はただひとつの物質がもたらす反映となる。声の持ち主の個別性は、いつの間にか捨象される。ただ時間の計測が、物質の反映のみが、不規則だが全体としては調和している自然のありのままの姿に感応するための信頼のおける媒体となる。自然はまず、原初的な水の形態として現れる。コンバインが山裾にへばりつくように耕耘を始めるのが最初の水の形態である。排水されずによどんだ水は、やがて稲の根を黒く変色させ、酸素不足に陥った土壌は鼻につく腐臭を放つだろう。次ぎなる水の形態は、開拓者たちがどこからともなく流浪の身を納めにこの地にやってきたときに見られる。蔵王山麗の向こうの水源を引くためには山をひとつぶち抜かねばならず、鍬を持つ手はいくら除いても減らない石ころに皮膚のうえの硬いまめをつぶすが、掘り返す土は当分のあいだは乾いたままだ。三つ目の水の形態は、白痴と美しい娘の姉弟のドラマに現れる。白痴のあたまに刻まれた禁止は血のつながる姉に恋をすることを厳しくとがめだてる。白痴にできることといえば、後ろ姿を呼び止めることなく、姉の簪をそっと抜きとり、自身の蓬髪の頭にそっと簪をさすのみだった。やがて、嫁いだ姉は川を越えて去っていくだろう。時代は現代に戻ってどんよりと曇った空模様を映し出す。気温の低下をもたらす大雨の予報を受け取ったアナウンスの女は、マイクを握ってJA本部の硬い椅子に座って前かがみになるだろう。ただそこに水が存在し、もとのかたちを留めず地表のうえをゆきかい、草のようにへばりついた人間の生活を右に左にと揺れ動かすために、声たちは響きを変える。小川紳介の『1000年刻みの日時計 牧野村物語』(1986)では第一部の前半で、水に反応する声をゆるやかに連鎖させていく。ほとんど創世記のようなリズムと巨視的なヴィジョンを獲得したこの稀有なドキュメンタリー作品は、科学、民間伝承、開拓史、生産機構を、四元素のひとつである水から演繹する。稲の生育に大気、地下水、降雨、灌漑のすべてが関わるように、水は絶対の存在である。ときには光よりも水が優先される。自然界において光はわれわれが操作できる範囲の外にあるが、水は違う。水位を変え、堰きとめ、流すことができる。だから光は声の響きを生まないが、水は土着民族にとっての基本単位となる。声の集団性は、共感や同意のもとに組織される。大地に立って大空を見上げる信仰は、ただ自分よりも大きなものに対する信頼から生まれ、己の適応能力への自信と自然への畏敬が混じりけなく同居する。懐疑論や不可知論は、都市に吹き寄せられた根無し草たちの自らの影を踏むことも怖れる彷徨から生まれ、キアロスクーロがデラシネにとっての唯一神となる。密集した狭い路地や規則正しい格子から闇と光の交差する魔術が唱えられるように、振り払えない湿気とともにヴァーミリオンやクロームプリムローズの明るい色彩が闇を追放する田園の汗ばんだ昼の光は、外光派が黒の絵具の使用を禁じた頼りない厳格さが杞憂に過ぎなかったことを教えてくれる。大地はただひたすら寛大で、圧倒する。区画整理のあとでも科学と迷信が矛盾なく軒を並べるのは、それがちっぽけな人間の思考の区別に過ぎないからだ。もはや起源を遡れないほど古くから存在する道理は、宇宙の大きさは当然のように内面よりも大きく、はっきりしていることを伝承する。『満山紅柿――上山柿と人とのゆきかい』(1984=2001)では、たまたまカメラの前に姿を現した老人が、よどみなく柿の起源を伝える三つの説を披瀝する場面がある。異人説と渡来説と異種交配説の三つ起源譚が老人の思考にまったく齟齬をきたすことがないのは、そのいずれが正しくても間違っていても関係ないからだ。他のどこでも取れないこの地域にだけ育つ紅柿はすでに存在する。それが何よりの証拠である。だから、起源に関する説が増えたところで神々がそのぶんだけ増えて、記憶に刻まれる物語が口語を豊かにするだけだろう。アニミズムの基本的な感覚は、万物に神が存在するという偏在性ではなく、単なる距離の問題に還元される。つまり、すぐそばに神がいることだ。ときには家の戸を開けて部屋のなかにつかつかと入ってくるが、神が出て行ったあとに開けっ放しの戸を見ると、人間にはとても通り抜けることのできないほどわずかしか開かれていない。不意の接近から驚きが感覚を支配する。神が姿を現した以上なにか意味があるはずだが、当人にはわからない。もっともらしさを駆動させる連想が生じるのはこうした瞬間だ。人々は、同じ場所で同時に神を見るわけではない。神はもっぱら個人の体験にしのびこむため、個人の記憶は語りを通じてしか共有できない。そのため、村では記憶をひとりの人間の頭や体に閉じこめておくことができない。それは文字通りあふれ出す。他人の体験が自分の体験になり、他人の目が自分の目になり、他人の息遣いが自分の息遣いになる。そんなとき、耳で聞き覚えた懐かしい合いの手が、自然と口の先からこぼれ出す。閉まっておいた記憶を奮い立たせるようにハレといい、息継ぎのあとでホレといい、一度口に出した名前を親しみをこめてカイヅといい、強調するところでナリャーといい、どれだけ驚いたか知ってもらいたいがためにアリャーという。なんどもくり返した物語がただ語りなおすというだけで息づいてくるのは、記憶にリズムをもたらすこうした合いの手が交わされるからだ。経過した時間は引きのばされることなく、いっきょに縮まる。過去の出来事は話し手にとってはもう古くない、ついさっきそこで起きたばかりの出来事になる。すると聞き手もうれしくなって、意味の不分明さに関わらずに相槌を打っているだけの体が自然と声に反応していることに気づくのだ。
 こうしてわれわれは小川紳介が十三年のあいだ定住した牧野村の歴史を聞き分けることになる。世界の中心にひとつの物質が固定されることで、パノラマのように音階が広がる。一部ではその中心が水だったが、休憩をはさんで二部になると、雪の降る牧草地から出土した土器が中心に変わる。撮影隊が地面を一メートルも掘り進めないうちに、模様のついた土器の破片が見つかる。牧草地の持ち主である女は、土器を見て先祖に思いを馳せる。土器のかけらは桑の樹から伸びる根によってふたつに割れている。女はもともと雑木林だったこの地を開墾して桑の樹を植えた先祖が生きてきた証しを発見したような気になり、掘られた土の表面を手で触り、傾いた養蚕業から酪農に切り替え畑を牧草地にした自分の代の人生を思い出している。だから、出土した土器がそれよりもずっと昔の縄文土器であることにはさほど気に留めていない。発掘を進めるうちに円形の炉のような石組みが姿を現した現場に、今度は考古学者が呼ばれる。白髪の学者は手のひらに模様のついた欠片を乗せ、さまざまな角度から眺める。学者の思考は雪の降る冷たい土の上からはるか縄文の時代まで遡り、模様の状態から祝祭的用途を見出し、方角を確かめたあと、不意によく通る声で「ここらで小高い山はありませんか」と確信をこめて尋ねる。学者はその後も発掘現場に通い、陣頭指揮をとるまでになり、「鳥のようにも蛇のようにも見える」土偶を片手に心地よい解決不能の謎に興味を向ける。その後、撮影隊はきこり風の男のもとを訪れ、出土した石斧やこの地方では見られない硬い鉱石を見せる。きこりは硬い石に興味を示し、手にとって他の石にひっかき傷をつけることで強度を確認してみせると、「パリン」と割って鋭い刃先を作ってみせる。彼もまた学者と同じように古代人の生活に直結する想像を膨らませ、手の皮膚にあてた刃先を頬につけて、この硬さだと髭も剃れると嬉しそうに報告する。「髭を剃って女のもとへ……」。こうして出土した土器や石器から三つの異なる反応が引き出される。われわれは、そのどれもが彼らの生活感情や職業観が正確にくだした判断であるため、それぞれの視点の真偽よりも、視点の多様性を楽しむゆとりを受け入れている自分に気づくことになるだろう。歴史という古層は、すぐ足もとの土の下で現在とつながっているという意味では、家系図も考古学も民俗学も同じ広がりを持つことに変わりはない。それに、過去は同じ肉体を使った身体感覚によって再現することもできる。だから、昔はさほど遠くない、というか、ぜんぜん遠くないのである。
 こうしてわれわれは、小川紳介が過去を再現するためにしばしばこの映画で用いる、過去の自分(もしくは自分の先祖)の再現という演劇的手法を考察する段階に到達する。この手法が明示的に(字幕を使って)使用されているのは、二箇所ある。ひとつが山の神の御堂に男根をかたどった道祖神の石が祀られるようになった顛末をたどる場面で、もうひとつが二四〇年前に起こった一揆騒動を「奥海道五巴」という書物をもとに村人総出で再現した場面である。このふたつの場面は、堀切観音を舞台に姉のもんと弟の与きの近親相姦的なテーマを扱った箇所よりもずっと面白い。後者では、日活ロマンポルノ創成期の大女優宮下順子暗黒舞踏創始者土方巽姉弟役をそれぞれ演じている。嫁に行った姉がふるさとに戻り、石畳の階段を登って観音堂のまえで重箱を広げる場面で、弟がかんざしを姉の髪に刺して立ち去る演出はすばらしく、また切り返しで効果的な「つなぎ間違い」(弟のカットを夜、姉のカットを昼)が用いられているのだが、それにも関わらず魅力という面では住民が自ら演じた再現劇にだいぶ劣っているといわなければならない(クレジットで出演者の名前を見るまで私は宮下順子土方巽によく似た人が出演していると思いこんでいたほどだ)。おそらく住民の再現劇のもっとも大きな魅力は、その一貫した素人くささにある。通常の演劇作品がやりとりする台詞の明確さを重視し、(たとえ誤解や不信がテーマになっていても)伝達する意味内容をアプリオリに確定し、効果的な論理の圧縮がほどこされ、役になりきることを前提にしているのに対して、素人の再現劇では言い淀みや「意味」のない繰り返し、役に対するなりきれなさや台詞忘れが散見される。いわばこうした「負の要素」が演劇の魅力にまで昇華される真の理由を明示することはたやすいことではない。道祖神像が樹の根から発見された場面でのやりとりは、夫婦がかつての本人役として出演している。石でできた見事な男根に価値があるのか首を傾げていぶかしみながら、家族のものが掘り当てたお宝を家に持ってくるのを断念した理由に思い当たって笑い、かといって家に持ち帰るのも形が形だから気がとがめるし、これだけ立派ななりをした男根を、掘り当ててすぐ埋めてしまうのも申し訳ない。昔を思い出しながらやりとりされる演技は、見ていてほほえましいとともに、もしかしたら再現している昔よりもずっと途方に暮れながら演じているのではないか、と思えてくる。彼らは一度経験したことである以上、その出来事がどのように起き、どのように帰結したかを知っている。しかし、再現している瞬間は、そうした結末に保証された短縮はみられない。過去をエピソードにまとめる短縮よりも、彼らを突き動かしているのは、かつて途方に暮れた感覚をもう一度生き直したいというきわめて演劇的な衝動ではないだろうか。だから、ああでもないこうでもないとのらりくらりと交わされる会話は、夫婦が興に乗ってきたためになかなか次に進まない。こうして巧まざる迫真の演技が生まれるのだが、おそらくこれは魅力の理由の一端に過ぎない。家に持ち帰った男根を軒下に隠して、たいへん心苦しいがここでひとまず我慢してもらおうとつぶやき、画面に映っていない監督を見つめて、「とまあこういう訳でして……」と老人が素に戻る瞬間は映画館の観客のだれもが噴き出していたが、この気後れしたような意気込みのなさは、強調や短絡によって劇的な効果を生む演劇的発想がなんら普遍的なものでもないことを伝えてあまりある。それに、この映画ではたとえ台詞をまえもって決めてある場面ですら、文章を朗読しているという印象を感じることがない。ナレーターを務める監督自身の声にもときおり言いよどみを聞くことができるが、それは書いた文字を目で追っていることからくる間というよりは、続く言葉を手探りして思考を整理しているつまずきのように感じられる。この口が開いたまま意味をなさない音声を搾り出す逡巡は、間違いなく語り部たちの効果的な合いの手につながっている。用途に限れば発話を貧しくするか豊かにするかの違いはあれど、どちらも記憶に働きかける合図には違いない。合図は朗誦する声に独自の響きを与える。このリズムの支配は、文章を朗読することからくる発声からは生まれない。この考えは、もしかしたら後半の一揆の再現劇には適用できないかもしれない。この場面では、前もって意味づけられた声が交差しており、作られた脚本の台詞を役者と村人たちは暗誦しているのだろう。しかし、一揆を起こす動機を発する村民たちの声には、記憶の定着に個人差が生じることから、それぞれに異なる反訴の理由が妙に生々しく暗闇にこだまする。ここまでの比較は素人劇といわゆるプロの劇との違いを見ることで考察してきたが、選択した観点は恣意的なものではない。露見した一揆の首謀者が詮議される場面では、奉行を俳優(田村高廣河原崎長一郎石橋蓮司)が演じ、引っ立てられた首謀者を祖先の村人が演じることで、対比はいっそう明確になる。奉行を演じる俳優たちは、訓練された声音をしており、恫喝するときは恫喝に聞こえ、判決を言い渡すときは重々しい。否認を続ければ家族にも類が及ぶことを告げるときは、眉根を細めて言いくるめる。ライトを浴びた俳優の演技は模範的なのに対して、後ろ手に縄でしばられた男たちは罪状に対する反論をよどみなく口にするが、あとはひたすら寡黙で表情を崩さない。かつて時代劇でなんどもくり返された奉行所の罪人と役人の構図は、素人と玄人の対決という監督が意識的に配置した形式と重なりあうことで、異様な効果を生みだす。詮議をかけられた男たちは、役所に対する不満を口にしながら後ずさりして闇のなかに消える。無名性の闇ではなく、恭順せず選んだ敗北の闇のなかである。その闇は確かに濃く、彼らの姿を見えなくするほど濃いが、彼らがまだ存在していることを忘れさせるほど濃いわけではない。この場面は緊張感がある。いくつかのカットは、ストローブ=ユイレの映画で現れてもまったくおかしくないものである。かがり火が焚かれ、役者を務めた村民たちも舞台の緊張を共有している。しかし、それだけに監督の作意があからさまに透けて見える場面でもある。訓練された声に村民たちの朴訥とした声が負けていくのは当然であり、結果としてはドラマに予定調和をもたらしている。素朴さが抑制という技巧の問題として処理されかねないあやうい岐路に立っている。われわれはそのとき、聴こえてくる声が演じられたものなのかどうか、もはや聞き分けることができない。だから、小川紳介のもたらした冒険が、ドキュメンタリー作家としての彼の方法論からみて発展にあたるのか後退に当たるのかを、もはや見極めることができないように思われる。というのも、はからずも政治劇を演じることによって、それまで多様な発声を持つものと規定されてきた個人は、単一の役柄、単一の主張を持つ主体まで還元されてしまい、制度的な身振りに拘束されることになるからだ(村民たちが一揆を起こすに至った窮状を次々と述べ立てる場面では、同意を表す「そうだ、そうだ」や下世話な主張に賛同を示す笑い声などが挿入され、効果的に動議のテンポを加速させるが、おそらくこのような合いの手もあからじめ台本に記載されたものであろう。村民たちのばらばらな息遣いは自然な吃音を奪われ、連帯への性急さに傾き、高揚感に声は張りを帯びていく)。この見方はあまりにナイーブかもしれないが、政治劇の導入は逆説的なかたちで「共同体のなかでともに生活しながら」対象に迫るという小川プロダクションのアプローチの持つユートピア性を浮かび上がらせる。抵抗するという人類の普遍的な側面は、意見という交換可能な思考から、土着という生活の実践に闘争の場所を移す。共同体とはそのようにして発生の最初に反逆の傷痕を背負っている。一度土地に根づいた人間は、青い穂を伸ばす苗がそれぞれの茎を広げて光をよく浴びるように、多様な思考をいっせいに広げる。しかしその多様性は、どこまでも必要性に限界づけられている。だから、いらないものは忘れ去られて思い返されることもない。では、かつての反逆を再演することはどうか? それが書物となって保存されていたことは確かである。台本が作られ、俳優が集結した。劇として上演できたのは、小川プロダクションがいたからこそはじめて可能になったという意味では、縄文土器の発掘と条件は変わらない。そうした事実を踏まえた上でなお問わねばならないのは、演劇は本当に必要であったのかという問いだ。この映画の章立ては八章で、おそらく撮影の時系列順には並んでいないとみていい。そして、演劇の場面は最後には来ていないのである。エピローグに学校の校庭で撮影に関わった村民全員を行進させる場面を配置していることから考えると、政治劇がこの直前に来るのが流れもよくもっとも適当であるように思える。しかし、小川紳介は、劇のあとに再び山の神と道祖神の縁起の後日談に話を移している。そのため、いくらか作品に不協和が生まれている。まるで大団円になるのを避けたかのようだ。推測の域を出ないのだが、こうした編集上の配慮は、政治劇を最後に回すことを回避したことから表れたのではないだろうか。つまり、演劇の上演の必要性は、小川紳介にとっても未解決な問題であったのではないだろうか。演劇的な連帯感と政治的な連帯感が一致しているうちは齟齬に気づかれないが、定住農民のしたたかな知性と埋もれぬ神話を高らかに歌い上げるそれまでの展開とは、あまりに異質なものを政治劇は含んでいる。二四〇年前に起きたという一揆は、その年の出来高に見合わない年貢米や、藩のいたって恣意的な徴集行為、日常生活の細目にまで触れ書きを出して干渉する理不尽さに一致団結して抵抗の声を上げることによって生まれた。その意味でいえば、基本的な権利を求める農民たちの姿を共感を持って映し出すカメラは、まったく主張としてもぶれることはないし、それまでの小川プロダクションのスタンスとも抵触することはない。問題は、演者に意図的な対立構造(玄人、素人)が持ちこまれた結果、百姓一揆がその本来的な形態(農民に課せられる年貢や賊役が充分な生産行為に支障をきたすほどまで悪化したことに対する嘆願)から離れて、あたかも制度的な変革を企図する階級闘争に擬せられ、近代的な至上権としての私的所有権を求める闘争と解釈されたことである。その意味でいえば早すぎた一揆は、当然のように首謀者の容赦ない拷問のもとに弾圧される。この悲惨な結末に対して、撮影隊も出演した村民も含めて意見を述べる場面が映し出されることはない。つまり、演劇としてはきわめて現代的な問題意識によって事件が再構成されていながら、その行為が持つ政治性に対して現代から見た回答が加えられることがない。これは一見して奇妙なことである。「奥海道五巴」という書物として記録に残り、のちに供養塔が建てられた延享四年の一揆の上演が映画に両義性をはらむのは、端的にいえば、この出来事がはるかな先駆となり近代になってようやく達成された私的所有権の確立と、小川プロダクションが農村社会に見出そうとする相互扶助共同体という理想との越えがたい落差によってである。記憶の曖昧な多層性によって可能になる物語の語りや、神仏が常に介在する民間伝承、共有地の使用や年間行事による地縁的結合が生み出す村落社会の関係性の網の目は、戦後の農地改革とともに私的所有権の確立による個人意識の台頭によって、「前近代的遺制」の名のもとに日本の大地から消滅していった。牧野村に失われた伝統を見出す小川プロダクションは、伝説のなかの登場人物のように村民たちを魅力的に捉える一方で、結果的に彼らが取り残された時代の潮流を、彼ら自身(の先祖)がかつて百姓一揆の名のもとに選択した結果かもしれないと示唆することを慎重に避けている。この政治的な判断によってドキュメンタリーの対象は無傷にその圧倒的な存在を誇示しているが、作品の構成に消えないいびつさを残すことになった。十三年間生活をともにした住民に対する愛情から、小川紳介は作品の完成度を犠牲にした。その選択が果たしてだれのためになるかを問うのは、あまりにも残酷に過ぎるだろうか。