2012-01-01から1年間の記事一覧

(その四十五)初稽古

「坊や、二階へ上がれ」 談志は突然そう云うと、留守番電話にメッセージを吹き込みはじめた。 「談志です。今、弟子に稽古をつけてます。初めての稽古なので電話に出られません。一時間ほどしたら改めて電話をください」 僕を見て、 「そういうことだ」 と云…

(その四十四)リングイン

ジャイアント馬場は常人離れした大きさという絶対的な記号を持っていた。だが猪木の体格は、外国人レスラーの中に入ってしまえばむしろ小柄な方だ。 強さは身体の大きさに比例する。だから大きな馬場は小さな猪木より強いと人は見る。猪木はその常識を覆すた…

(その四十三)ワーク

山内はアマチュア時代から得意技のベリー・トウ・ベリー・スープレックスを掛けようと、フレッドの腰に手を回したが、フレッドが重心を落として踏んばっているいるので崩れてしまった。 「ハッハッハ。いくらユーがオリンピック代表でも、ウエイトの思い相手…

(その四十二)マッチメイク

リーグ戦やトーナメント戦は、まず最初に優勝者を決めて、そこから逆算してマッチメイクを練っていく。ただ本物のケガなどアクシデントもあるので、その際は状況に応じてシナリオを書き換えていく。 いちばん困ったのは、ブルーザー・ブロディに振りまわされ…

(その四十一)ケッフェイ

ケッフェイとはプロレスの真実を教えてはならない、あるいは知らない者のことを指す。プロレスには暗黙のルールがある。新人にそれを教えるタイミングが問題なのだ。みんな薄々プロレス独特のルールに感づいているとは思うが、それは絶対に口に出してはいけ…

(その五)巴里の十五區と十四區

私は十五區と十四區の間に住んでゐたので十五區と十四區のホトンドの町では畫架を立てた事があります。よい畫は少ないが随分澤山かきました。朝出る時はオックウですが出てしまへば無中になれました。 巴里の古い家が面白いと思ひました、コトに煙突とビラが…

(その四十)日常のいざこざ

日常の出来事、それに堪えることが、日常のいざこざ。Aは、Hに住むBと、ある要件について契約をむすぶことになる。そこで、前もって打合わせておくために、Hへ出かける。往復それぞれ十分間で、そうそうに戻ってくると、この猛スピード振りを自慢する。…

(その三十九)吝嗇

彼は、自分の食卓から落ちこぼれたものを、さもしく拾いあつめて喰う。そのため、やがて上の食卓で食べることを忘れてしまい、そのためパン屑も落ちてこなくなる。 フランツ・カフカ「罪、苦悩、希望、真実の道についての考察」(『決定版カフカ全集第三巻』…

(その三十八)祝儀

上方の寄席は、お茶子が座布団を返したり、めくりを返したりする。客の祝儀も芸人に直に渡さないで、お茶子に渡す。するとお茶子が箸の先に祝儀のお札をはさんで、高座の前に立てていく。

(その四)パリ十四区

建築に注目するのではなく、人間に注目したもっと別の地誌を描いてみれば、もっとも静かな街区、あの辺鄙な十四区がその真の光のもとに浮かび上がってこよう。少なくともすでにジュール・ジャナン〔十九世紀仏の作家〕は、一〇〇年前にそう考えていた。この…

(その三十七)ピンハネ

勝二が地下鉄に乗った。 その頃、地下鉄は東京に一本、渋谷ー浅草間のいまいう銀座線だけで、料金はどこから乗っても、どこを乗っても二十円。終点から終点まででも、一駅でも同じの二十円。切符には渋谷⇔浅草としか書いていない。どの駅で買っても同じデザ…

(その三十六)ピックポケット

「傷は夢のなかで花を咲かせる」 男はそう言って、指を二本突き出した。まえに一度聞いたことがある。天才と凡人を振り分けるのはほんのささいな特徴だという話を。天井に伸びた男の人差し指と中指は、やすりで研いだみたいに水平だった。たったそれだけのち…

(その三十五)稽古(2)

ある時、先生(福田八之助―注)からあるわざで投げられた。自分は早速起きあがって、今の手はどうしてかけるのですときくと、「おいでなさい」といきなり投げ飛ばした。自分は屈せず立ち向かって、この手は手をどう足をどういたしますと、しつこくきき質した…

(その三十四)稽古

円鏡(現円蔵)と一緒に、いつだったか文楽師匠のところに『寝床』を習いにいったことがある。文楽は、根が不器用な人だからなのか、何と高座と同じに力を込めて私共の前で一席演ってくれた。円鏡と二人で恐縮もいいところで、帰り道、 「おい、竹ちゃん(円…

(その三十三)合図

次の日午後早く、列車をおりたときは、サン・ディエゴの町は、陽気にゴッタがえしていた――国境向うの、競馬シーズン最初の土曜日に引きよせられた連中で、いっぱいだった。ロス・アンジェルスの映画屋、インペリアル・ヴァレリーの百姓、太平洋艦隊の水兵、…

(その三十二)録音

入所当初は何がタブーかもわからなかったから、僕は無茶なことをして皆を驚かせた。そんなジェイルの手紙のやりとりでこんなエピソードがある。 当初僕は英語の授業を率先して受けていて、その際に先生が僕1人で宿題ができるようにと、ポータブル・カセット…

(その九十九)森崎偏陸

スクリーンのまえで、バスター・キートンはそこに境などないかのように軽々と跳び越え、ジャン=リュック・ゴダールはその手前で絶望的な欲情にふけらせた。スクリーンのてまえで現実と想像がせき止められる(越えられる)瞬間を描く欲望は、いつでも映画を…

(その三) ストーリー・ヴィル

「盛り場の王」トム・アンダーソンはランパートとフランクリンの間に住んでいた。彼は毎年、ニューオリーンズの売春婦をひとりのこらずリストアップした青表紙を出版していた。これは町の盛り場へのガイドブックで、カスタムハウス一二〇〇番のマーサ・アリ…

(その三十一) ヘンリー・ダーガー

山手線の車内。水玉模様のミニスカートをはいた女の子。父親と祖母といっしょに行楽にでかけた女の子は、朝方降っていた雨が止んだことをとても喜んだが、折りたたみの傘が邪魔になった。同じ水玉模様で揃えられた傘は、しばらく女の子の手のひらでもてあそ…

(その三十) 慣れ

「そんなことだろうと思ってたよ」と期待してた表情も見せず、にんじんはそっけなく答える。 にんじんはそれに慣れている。ある事柄に慣れると、それがついにはちっとも可笑しくはなくなるのだ。ジュール・ルナール「にんじん」 佃裕文訳(『ジュール・ルナ…

(その一)ハリウッド・ビジネス

レイモンド・チャンドラーは、自身の脚本作である「見知らぬ乗客」を、五週間と一日で仕上げた。その脚本には、その後多くの変更が加えられ、「去勢され」た。本人がテロップに名が刻まれるのを拒もうかと考えたほどだった。

(その九十八) ジャン・パウル

ジャン・パウル。――ジャン・パウルは、非常に多くのことを知ってはいたが、しかし学問を持たなかった。いろいろな芸術におけるさまざまな呼吸に精通してはいたが、しかし芸術を持たなかった。享受できないと見なすものは何ひとつ持たなかったが、しかし趣味…

(その九十七) 三船敏郎

三船は、それまでの日本映画界では、類のない才能であった。 特に、表現のスピードは抜群であった。 解りやすく云うと、普通の俳優が表現に十呎かかるものを三呎で表現した。 動きの素速さは、普通の俳優が三挙動かかるところを、一挙動のように動いた。 な…

(その九十六) U田ル

引っ込み思案だがどこかぼんやりしたところのあるU田ル。大学時代、雨に塗りこめられた大教室でのたいくつな講義のあと、入口の傘立てにさした傘があっという間に盗まれてしまうということは、学生ならだれもが知っているはずなのに、授業のあと蒸し暑い廊…

(その九十五)テレンス・ウィリアム・レノックス

「なぜひきうけてくれるんだ、マーロウ」 「ひげを剃るあいだ、飲んでてくれ」 私は隅っこにうずくまっている彼を残して台所を出た。彼はまだ帽子をかぶって、トップ・コートを着ままだった。だが、やっと生気をとりもどしたようだった。 私は浴室に入って、…

ふたりの映画作家の対話

若い、といっても中堅といっていい年頃の映画作家が自作について語る。 「今回のテーマはファム・ファタールでした。運命の女とはなにか。女はふたりの男のあいだで引き裂かれます。過去に振り切ったはずの男と、未来を託してもいいと一瞬でも思った男。演出…

(その九十四)ソクラテス

クセノフォンの伝承。ソクラテスはあるとき、軍営地で深い物思いに沈んで、二十四時間のあいだまったく微動だにしなかったという。

(その九十三)ロベール・デスノス

ミロとマッソンの傍らで、ロベール・デスノスは〈目覚めたお寝坊さん〉の生活を送っていた。仮眠状態で物を書く彼の才能は友人たちを面食らわせ、魅惑した。彼はどこでも眠れるようになり、彼を目覚めさせるために医者を呼びに行かなければならないことも何…

(その九十二) ジョン・エドガー・フーバー

アイゼンハワー時代を通じて、私たちは平穏無事にFBIトップの地位をまっとうし、足りぬものは何もないという満ち足りた気分を満喫していた。だが、だからといって、自らの心の奥底に根ざす大きな苦悩からエドガーが少しでも解放されたかというと、そうで…

(その七十) 藤田嗣治(2)

学校で絵を描いていたら誰かが、面白いぞ、と大声をあげながら教室へ入ってきた。今なア、美術館に行って、お賽銭箱に十銭投げるとフジタツグジがお辞儀するぞ。本当だった。隣の美術館でやっている戦争美術展にさっそく行ってみたら、アッツ島玉砕の大画面…