人類性格図鑑

(その百三十四)花井お梅

毒婦花井お梅。美貌と気っ風の良さで知られたお梅は、芸妓として名を挙げ、浜町2丁目に待合茶屋「酔月楼」を開いた。茶屋の名義鑑札人である父親の花井専之助は、士族の商法を地で行く下級武士で、縁故も商才もないまま放漫経営をつづけた。お梅は大げんか…

(その百三十三)向田邦子

花ひらき、はな香る、花こぼれ、なほ薫る 森繁久彌による墓碑銘

(その百三十二)アルフレッド・ダグラス卿

キチンの奥の狭いメイド部屋には移りたくなかったが、アルフレッド卿にも会いたい気持があった。一八九〇年代の典型のような人物で、若い頃には美男子で、無分別で、怒りっぽく、裏切り行為を働いたかどで刑務所にほうり込まれた、などの伝説以上には何も知…

(その百三十一)ガートルード・スタイン

部屋は広く、落ち着いた色調の家具が備わっていた。しかし、壁面には収集したブラック、マチス、ピカソ、ピカビアらの豪華な絵画がところせましと並んでいた。私はそうした絵画の集積的な影響から回復した途端、部屋の向こう端にブッダよろしく鎮座するそれ…

(その百三十)エセル・ムアヘッド

デセンデ・ドゥ・ラルヴォットにあるエセル・ムアヘッドの家はイギリスのオールドミスにふさわしい住いだった。中にはチンツや真鍮製品や家族の肖像など、壁面二つに書棚がずらり並んで中に前衛的な書籍が詰まっていることを除けば、サセックス州のコテージ…

(その百二十九)マックス・マザッパ

僕がお年寄りの乗客に、デッキチェアをたった二つの動作で折りたたむ技を教えていると、マザッパさんがこっそりとそばにやって来る。腕をからませ、僕をひっぱっていく。「ナチェズからモビールへ」と説教調で。「メンフィスからセントジョーへ……」僕の戸惑…

(その百二十八)リー我ロイ矢ル貞男

彼とはよく、スナックのママに霊感が強い女が多いのはなぜだろうと話し合ったものだった。当然のようにLの話になった。 後年になってLにその話をすると、手を叩いて喜んでいた。もっともLにしてみれば、彼の態度にはどこか慇懃なところがあって最後まで好き…

(その百二十七)アフタリアン

その男というのは小柄なルーマニア人で、パリにきたころには、カフエで、とくにラ・ロトンドで、モデル女や物好きな女たちや、レジスターの女たちに絹のストッキングを売っていた。彼はまず、この世に画家というものがいることに驚き、つぎに、絵が売り物に…

(その百二十六)アリス・プラン

有名なキキも客の一人だった。モンパルナスに来たばかりだった私は、彼女が界隈の女王的存在であるとは知らなかった。しかし、彼女の個性は人を引きつけ、声には独特の魅力があって、エクセントリックな美しい顔をしていた。メーキャップそのものからして芸…

(その百二十五)黄アス弐等久大佐

人に頼みごとなどなにひとつできない性格だったにもかかわらず、彼がその長すぎる人生のなかで、そのために不利な立場に置かれるようなことはなにひとつなかった。海軍時代においてもその後の公職追放時代においても、それは変わらなかった。ある種の命令系…

(その百二十四)アウグスト・ファルンハーゲン

彼が好かれなかったのは、あれほど融通無碍だったくせに妙に原則にこだわる頑ななところがあるのと、まわりの雰囲気に鈍感なのと、なににつけすぐに白黒をつけたがって問題を先鋭化させてしまうせいだった。 ハンナ・アーレント『ラーエル・ファルンハーゲン…

(その百二十三)スシーロフ

しかし、オシップのほかに、わたしを助けてくれた人々の中には、スシーロフもいた。わたしはこの男をわざわざさがしたわけでもなければ、頼んだわけでもない。彼のほうからいつのまにかわたしを見つけて、用を足してくれるようになったのだが、いつ、どうし…

(その百二十二)リチャード・ユージーン・ヒコック

ディック! 弁舌さわやかで、目から鼻へ抜けるような男。たしかに、それは認めざるをえまい。まったく、彼は信じられないくらい「人をペテンにかける」ことがうまかった。ディックが最初に「狙おう」と決めたミズーリ州の「キャンザス・シティー」という洋服…

(その百二十一)ようちゃん

ぺたぺたというような軽い靴音がうしろから走ってきて、だれかが肩を叩いた。ふりむくとやっぱり、ようちゃんだった。彼女はいつも、きゃしゃな足によく似合う、やわらかい革の横で留める靴をはいていて、あまり足をあげないで走るから、こんな音になる。よ…

(その百二十)ナナオサカキ

たくさんの渓流に洗われた頭 四つの大陸を歩いてきたきれいな足 鹿児島の空のように曇りなき目 調理された心は驚くほど新鮮で生 春のサケのように活きのいい舌 ナナオの両手は頼りになる、星のように鋭いペンと斧 アレン・ギンズバーグ

(その百十九)ナスターシャ・フィリポヴナ

「残念だ! じつに、残念だ! 破滅した女だ! 気の狂った女だ!……だが、そうなると、公爵に必要なのはナスターシャ・フィリポヴナではないぞ……」 ドストエフスキー『白痴』上巻 新潮文庫版 木村浩訳 新潮社 昭和四五年一二月三〇日発行 三三一頁

(その百十八)ガヴリーラ・アルダリオノヴィチ・イヴォルギン

実際のところ、金もあり、家柄もよく、容貌もすぐれ、教育もあり、ばかでもなく、おまけに好人物でさえあり、自分の思想をもたず、まったく《世間並み》の人間であることぐらいいまいましいことはないであろう。財産はある、しかしロスチャイルドほどではな…

(その百十七)光晴

ちくちくする芝生に背中をつけた姿勢でのけぞると、逆さまになった林の先端だけが見えた。杉や小楢が自生する林は体育館と墓地に挟まれていて、忘れられたようにいくつかの遊具があった。鳥の糞だらけのバンガローや車輪が錆びてうまく滑らないロープウェイ…

(その百十六)ミディPスメル13

三人の浮気相手とつつがなく恋愛をしていたミディPスメル13は、四人目を申し出たいちばん若い男に殺されたが、彼のなまえを最後までおぼえられなかったのが唯一の心残りだった。

(その百十五)フェルディシチェンコ

それは年のころ三十ばかりの、背丈の低くない、肩の張った、赤毛の大頭の男であった。その肉づきのいい顔は赤らみ、唇は厚く、幅広の鼻は低く、小さなどんよりした眼は皮肉の色を浮かべて、まるでひっきりなしに瞬きしているように見えた。全体的に見て、こ…

(その百十四)プリンシパル倉敷ルロイ

「もっと働こう」がモットーのプリンシパル倉敷ルロイは、意識がこと切れた瞬間ですら全身をながれる血の速度を上げようとひたすら心拍を速めていた。

(その百十三)リバプールスイート吉永

リバプールスイート吉永の闘争的な性分は、けんかっ早い短命さで発揮されることがなかったために周囲の眼につきにくかったが、だれもが彼に一目置かざるをえなかったのは、目には目を、歯には歯をという前論理的な復讐の思考をすっかり血肉としていたからだ…

(その十七)ハンフリー・ボガード(2)

年をとることによって得られた彼の洗練さは、最も驚嘆すべきものだろう。この頼もしい人物が、肉体の力や、軽業師的な身ごなしの柔軟さによって、スクリーン上で目立ったことは一度もなかった。つまり、ゲーリー・クーパーのようだったことも、ダグラス・フ…

(その百十二)ヒースロー喜一郎

ヒースロー喜一郎は強盗に必要なすべてを備えていた。自分のものではない金品を欲することと手にしたあぶく銭を躊躇なく投げ出すこと。一瞬の所有者となることを運命づけられた男は、彼がこの社会に生を受けた全ての証を売りさばき、追っ手の執念深い追跡を…

(その百十一)高貝光則

一九七〇年に入って秋田県の出稼ぎ労働者の数が六〇〇〇〇人を越えたとき、そのひとりであった高貝光則の労働時間は月に五〇〇時間の大台に乗るかに思われた。二四時間と三六時間のシフトを繰り返し、床につく時間を二時間に削って眠りながらベルトコンベア…

(その百十)憂鬱症者

憂鬱症者。ーー憂鬱症者とは、自分の悩み、自分の損失、自分の欠陥をとことんまで考え詰めるに足るだけの精神力を持ち、またそういう精神力を働かせることへの喜びを持つような人間である。しかし彼が自分の身を養っている領域は狭小にすぎるので、ついには…

(その百九)パイロット

「ハイ」 その人は顔を上げて、最初にギターを、そして次にミルクマンを見た。 「それはどういう言葉だい?」その人の声は快活だったが、しかし棘が含まれていた。ミルクマンは巧みにオレンジの皮をむいているその人の指をじっと見つめていた。ギターはにや…

(その百八)ジョージ・バーナード・ショー

バーナード・ショー氏は、彼と意見を異にする人からも、そして、(もしあれば)彼と意見を同じくする人からも(と私は思うのだが)、いつも、ふざけたユーモリスト、目を見はらせる軽業師、早変りの芸人のように考えられている。彼の言うことを真に受けては…

(その百七)ララ

エキセントリックな人間というものは、一つ屋根の下に住んでいると癪のたねになることがある。例えば私の母は、奇妙なことに、ララのことをただの一度も私に語ろうとはしなかった。ララを一番愛したのは、彼女が遠くから嵐のようにやってくるのを見ていた人…

(その百六)高階充

東京からひとりの女の子が越してきたらしいという噂が広まったのは、房枝が盆の迎え火の準備をしていたときだった。母親の昭子が縫製工場に出ていたため、昼ご飯の準備をしていた房枝が、食器を並べるために盆提灯につかう和紙や竹ひごをどけていると、いと…