(その六十五) 百田宗治

 百田のことは、それまでにも富田の口からいつもきかされつづけていた。彼はまだ、故郷の大阪にいて、大鐙閣という本屋につとめながら、詩を書いていた。ストリンドベリーの研究をしていた藤森という男と二人で、雑誌を出していた。藤森が死んで、百田がいよいよ東京に出てくるということになった。『ぬかるみの街道』という詩集が出て、はじめて僕は、百田の詩を読んだ。百田が東京に出てくるということは、デモクラシイーの陣営にとっては心づよいことだった。デモクラシー陣営では、富田、白鳥のあとにつづくものが、井上、花岡
では手うすすぎる。その点、風来坊の富田や、いなかもののねっちりした白鳥とちがって、百田は、目先もきくし、実際的な事務もやってゆける重宝な人間だ。富田は、僕と親しかったので、多少の期待をしていたのかもしれないが、僕はどっちつかずで煮えきらず、本心は富田への義理で、陣営のめぐりをうろちょろしていただけだから、たしになるはずがなかった。
 上京してきた百田を、僕は早速見物に行った。百田と細君のしをりさんに会った時、二人の客あしらいのよさに、いい気持になって、初対面の家に十二時過ぎまでしゃべっていて、電車がなくなり、巣鴨から牛込までてくてく歩いてかえった。
 百田のはなしぶりが、客観的で、乾いていて、声が時計のセコンドのようにきこえるので、
「君は、六角時計みたいな男だな」
 というと、彼は、すこし四角ばったじぶんの顔のことと解して、それはなかなかうまいと感心し、
「しかし、六角時計というのはない。あれは、八角時計や」
 と訂正した。
      金子光晴『詩人 金子光晴自伝』(『ちくま日本文学全集 金子光晴』所収)筑摩書房 一九九一年六月二〇日発行 255〜256頁