(その六十二)徘徊

商店街を徘徊する小柄な老婆の姿が見られるようになったのは、去年の夏ごろからだった。老婆は輸入雑貨が店内にところ狭しと置かれた店内に入ると、ここが板土間だったころから知っていると言わんばかりに奥の帳場に押し掛け、紫色に髪を染めた店員に気安く…

(その六十一)撮影段取表

ゴダールは彼のおおかたの撮影の際に好んで、撮影段取表を考察すべき引用文で締めくくったものだった。そしてときには、その引用文のいくつかが結局はその映画それ自体のなかで見つけ出されたり、また別のいくつかは数年後に、それどころか数十年後に、映画…

(その六十)積夜具

ふたりが出会ったのは、茶屋の前に夜具がたくさん積まれた布団のなかだった。 男の名は仁吉といい、冷やかしの最中に素人の小娘を見初めてむらっ気を起こした。 仁吉はとくにいい男ではなかったが、通った鼻筋に涼しい目許をしていた。鬢を撫でつける仕草に…

(その五十九)ハンカチーフ

父親の愛はとても近かった。幼いセアラを抱きすくめ、その肌触りを愉しみ、一心に眼をのぞきこんだ。床について寝しなのおとぎ話を聞かせてくれるときは、必ずからだのどこかをやさしくなぜてくれた。セアラにとって、父の熱心な愛の行為は、ある意味で近す…

(その百三十四)花井お梅

毒婦花井お梅。美貌と気っ風の良さで知られたお梅は、芸妓として名を挙げ、浜町2丁目に待合茶屋「酔月楼」を開いた。茶屋の名義鑑札人である父親の花井専之助は、士族の商法を地で行く下級武士で、縁故も商才もないまま放漫経営をつづけた。お梅は大げんか…

(その五十九)空襲警報

四月十八日、土曜日。 授業は終ったが、すぐに家に帰る気にはならない。ランドセルを放り出して、校庭の隅のジャングルジムに登った。隅田川を上下する舟がよく見えた。 大川の向うで、間の抜けたサイレンが鳴った。本所あたりの工場の昼休みだろう。何かの…

(前編)だれもだまされてはいない 松本人志『R100』(2013)

『R100』(2013)は映画である。だから、われわれは決してだれもだまされてはいない。 「ビジュアルバム」や「寸止め海峡」の世界観を映画館で再体験できるという期待に胸を膨らませ、先の三度の裏切りにも関わらず未だに諦めきれない「松本信者」特…

(その五十八)改心

宝永六年版『今様二十四孝』の記事。傾城狂いがもとで兄の身代をつぶした男の話。傾城狂いに走った重右衛門は、兄の財産を蕩尽すると、そのまま行方をくらました。心を入れ替えるつもりで江戸の商家で数年の研鑽をつみ、詫びを入れるつもりで兄の家に出向く…

(その百三十三)向田邦子

花ひらき、はな香る、花こぼれ、なほ薫る 森繁久彌による墓碑銘

(その二)『女大学』の時代

かたい武家の家や、商家でもしっかりした家風の家、郷士、土地の旧家などで、小ゆるぎもしない古くからのしきたりで、時勢の変遷などよそにみて、格式通りの生活をつづけ、冠婚葬祭も慣例に従って、『女大学』はそこで重要な、女のありかたの支えになってい…

(その五十七)香下

色好みの平仲が思いそめたのはかの本院侍従。才女として誉れ高く、村上天皇の母后の女房を勤めていた。届け文ににくからぬ返事もあるが小ゆるぎもせず、ついに会うことがかなわない。せめて内奥をかき口説き続けるかた思いから解放されるために、平仲は侍女…

(その百三十二)アルフレッド・ダグラス卿

キチンの奥の狭いメイド部屋には移りたくなかったが、アルフレッド卿にも会いたい気持があった。一八九〇年代の典型のような人物で、若い頃には美男子で、無分別で、怒りっぽく、裏切り行為を働いたかどで刑務所にほうり込まれた、などの伝説以上には何も知…

(その百三十一)ガートルード・スタイン

部屋は広く、落ち着いた色調の家具が備わっていた。しかし、壁面には収集したブラック、マチス、ピカソ、ピカビアらの豪華な絵画がところせましと並んでいた。私はそうした絵画の集積的な影響から回復した途端、部屋の向こう端にブッダよろしく鎮座するそれ…

(その百三十)エセル・ムアヘッド

デセンデ・ドゥ・ラルヴォットにあるエセル・ムアヘッドの家はイギリスのオールドミスにふさわしい住いだった。中にはチンツや真鍮製品や家族の肖像など、壁面二つに書棚がずらり並んで中に前衛的な書籍が詰まっていることを除けば、サセックス州のコテージ…

(その百二十九)マックス・マザッパ

僕がお年寄りの乗客に、デッキチェアをたった二つの動作で折りたたむ技を教えていると、マザッパさんがこっそりとそばにやって来る。腕をからませ、僕をひっぱっていく。「ナチェズからモビールへ」と説教調で。「メンフィスからセントジョーへ……」僕の戸惑…

(その百二十八)リー我ロイ矢ル貞男

彼とはよく、スナックのママに霊感が強い女が多いのはなぜだろうと話し合ったものだった。当然のようにLの話になった。 後年になってLにその話をすると、手を叩いて喜んでいた。もっともLにしてみれば、彼の態度にはどこか慇懃なところがあって最後まで好き…

(その六)書斎

その細長い書斎をさして、開高健は鳥小屋と呼んだ。自宅と隣家とのすきまの狭い露地に柱を建て並べ、その上に鳥の巣をかけわたすようにして造られていたからである。同じような理由から書斎の主は鳩小屋と称していた。外構えはたしかに鳥小屋ふうだが、しか…

(その百二十七)アフタリアン

その男というのは小柄なルーマニア人で、パリにきたころには、カフエで、とくにラ・ロトンドで、モデル女や物好きな女たちや、レジスターの女たちに絹のストッキングを売っていた。彼はまず、この世に画家というものがいることに驚き、つぎに、絵が売り物に…

(その百二十六)アリス・プラン

有名なキキも客の一人だった。モンパルナスに来たばかりだった私は、彼女が界隈の女王的存在であるとは知らなかった。しかし、彼女の個性は人を引きつけ、声には独特の魅力があって、エクセントリックな美しい顔をしていた。メーキャップそのものからして芸…

(その百二十五)黄アス弐等久大佐

人に頼みごとなどなにひとつできない性格だったにもかかわらず、彼がその長すぎる人生のなかで、そのために不利な立場に置かれるようなことはなにひとつなかった。海軍時代においてもその後の公職追放時代においても、それは変わらなかった。ある種の命令系…

(その百二十四)アウグスト・ファルンハーゲン

彼が好かれなかったのは、あれほど融通無碍だったくせに妙に原則にこだわる頑ななところがあるのと、まわりの雰囲気に鈍感なのと、なににつけすぐに白黒をつけたがって問題を先鋭化させてしまうせいだった。 ハンナ・アーレント『ラーエル・ファルンハーゲン…

(その五十六)微笑

忠叔父さんは、ところどころ瘤のような筋肉で堅固に覆われている顔を、明るい表情のままムクムク波立たせるように、微笑しました。 大江健三郎『キルプの軍団』岩波書店 一九八八年九月二二日発行 八五頁

(その五十五)門限

私がはじめて溝口健二の作品を見たのは一九六四年のことです。場所はスペインのシネマテーク、フィルモテカ・エスパニョーラでした。その当時私は、漠然とした将来を抱えるだけの若者で、ふつうの生活から離れて二年間の兵役に服していました。兵役忌避をし…

(その八)鳥を捕る人

「ここへかけてもようございますか。」 がさがさした、けれども親切さうな、大人の声が、二人のうしろで聞えました。 それは、茶いろの少しぼろぼろの外套を着て、白い巾でつつんだ荷物を、二つに分けて肩に掛けた、赤髯のせなかのかがんだ人でした。 「えゝ…

(その五十四)自嘲と呼ぶには程遠い

あるとき唐突に、彼は奇妙なことに気づいた。彼の住むアパートと、向かいの側に建つアパートは、境界線の植木を軸とする完全な線対称だった。ふたつの建物は高さも、階あたりの部屋数も、ドアの大きさも、階段の位置も、手すりの色や材質に至るまでいっさい…

(その百二十三)スシーロフ

しかし、オシップのほかに、わたしを助けてくれた人々の中には、スシーロフもいた。わたしはこの男をわざわざさがしたわけでもなければ、頼んだわけでもない。彼のほうからいつのまにかわたしを見つけて、用を足してくれるようになったのだが、いつ、どうし…

(その百二十二)リチャード・ユージーン・ヒコック

ディック! 弁舌さわやかで、目から鼻へ抜けるような男。たしかに、それは認めざるをえまい。まったく、彼は信じられないくらい「人をペテンにかける」ことがうまかった。ディックが最初に「狙おう」と決めたミズーリ州の「キャンザス・シティー」という洋服…

(その五十三)情状酌量

百姓は女房をなぐる。長年の間には片輪になってしまう。犬を扱うより、もっとひどく罵詈嘲弄をほしいままにするのである。女は絶望のあまり、自殺を決心して、ほとんど狂気のていで村の裁判所に訴えて出る。すると、そこの連中は「仲よく暮らすがいいよ」と…

(その七)撮影所の名物男

大貫 なんて言ったっけ? 石井 正やんは、正やんだな。 大貫 名物男です。 石井 進行係もやれば役者の付き人みたいなこともやれば、監督の腰巾着もやるし、雑用もやる人なんですよ。海に飛び込む場面を撮るとき、たとえば若い監督ならいきなりやれっていうで…

(その五十二)演武

二〇〇七年の四月、私は本当に驚くべき動きを直に目にすることが出来ました。それは新潟で行われた韓氏意拳の講習会の後の懇親会の時でした。伝説の名人、意拳の創始者王郷齋の門下で、唯一意拳の術理を体現した拳舞を舞うことを許された韓星橋老師に後継者…