会話

 何日かまえの早朝、スーパーマーケットで水を買おうと手を伸ばすと、横から現れた主婦にむしり取られた。その話をすると、彼はさも興味なさそうな顔でうなずいた。
「世のなかには買占めを糾弾する声もあるそうだが」と彼は前置きしてつづけた。「そんな未練なことをいうやつは大抵ばかだよ」
「なぜだ」
「だって、買占めをする人間を区別できるのは、けっきょくのところ買占めをする人間だけだからだ。彼らは被災地に向けた支援のためにかごのなかいっぱいになにかを詰めこんでいるのかもしれないし、ただ流しの下の棚をぎゅうぎゅうにしておきたいためだけに何件もの小売店をはしごするのかもしれない。いずれにしても彼らは自らを駆り立てる衝動に忠実であったわけだ。だが、その彼らにしたところで、お互いがなぜ買占めをしているかは判断がつかないはずだ。なぜなら、人間というものは、その目的にしたがって相手をみるに過ぎないからだ。きっと、お互い人助けでしていると思うだろう。だれを助けるかに違いはあるにしてもね」
「でも」と私は弁解して、割りこんできた主婦がいかに横柄な態度だったかを、口をすっぱくして語った。彼は私の熱弁をさえぎった。
「ところで、君はなんだって朝からスーパーに行ったんだ?」
 私はだまった。
「若い男が、パンツのゴムひもがゆるんだからかね。君はぼくといっしょで一人暮らしだろう。君は、自分がそうはしなかったという行為をもとに自己主張の根拠としているようだが、しなかったのではなく、単にできなかったというのが本当のところじゃないのかね」と彼は言った。
 彼は文末に「かね」とか「かしら」とか「ものだよ」とかをつける、いたって古風で文学的な男だった。
「買占めを非難するのはやせ我慢している人間だけだ。その人間にしたところで、やせ我慢をするのはようやく購入点数に制限がかけられたからに過ぎない。規則を律儀に守ってひもじい思いをする自分がいじましいんだ」
 私はあれこれとこの世界の成り立ちについて腕を振りふりしながらしゃべった。東京で買占めが起こると、まわりまわって被災地に物資が届かなくなることを遠大にして舌足らずな調子でまくしたてた。
 彼は真理を発見したように目もとをゆるめた。
「おや、無精ひげが生えているね。君がグローバリゼーションという単語を使うと、風が吹いたらの類の話に聞こえるよ」
 私は肩を落とした。それからにやつきだした。彼も同じようににやつきだした。
「君に好感がもてるのは、抜け目のなさをもっているだけでなく、それを隠そうとしないところだ。君はいったい何本ペットボトルを流しのしたにつめこんでるんだ」
 私は指を広げてひらひら振ってみせた。