(その二十三) テイクノート

 三年前、僕の書いたものが初めて単行本になった。「作家」「先生」と呼ばれるのにあんなに憧れていたのに、書き連ねたものをまとめただけだから感慨はない。
 郵送してくれればいいと言う僕に、若い編集者のMさんは「出来上がった本を著者の方にお届けするのが、僕たちの喜びなんですよ」と早口で言い張った。
 雨の中を歩いて来た彼は真新しい本を僕の前に出すと、正座した。時代劇のように両手を前につくと深々と頭を下げ「ありがとうございました」と言う。
 マンションの玄関先の意外な展開。
プロの作家の人たちは、こんな時にどうしているのだろう?
突っ立っているわけにもいかず、あわてて僕も正座して、口の中でゴニョゴニョっと言いながら頭を下げた。お葬式のお悔やみのようだなー、こりゃー。
女房の「サ、サ、どうぞ、どうぞ、何やってんのよ、あなた」の声に救われる。
よく聞くと、単行本としては僕との仕事が初めてだそうで、僕も初めての出版で、お互いに初めてづくしだったのだ。「処女と童貞」と僕が冗談を言ったが「なるほど」と感心された。
「編集の人はマジメ」とテイクノートしておこう。
       イッセー尾形イッセー尾形の遊泳生活』角川書店 平成七年一月三十日発行 97〜98頁