(その七十四) サルバドール・ダリ

 過去にさかのぼってまで「野生の状態に」ある美を識別し、同時にまたそれを本来のなかに投影してきたということが、シュルレアリスムに対して、この〈美〉の、くりかえし可能な若さの独り占めを保証するはずである。その点からして、シュルレアリスムの表現としての芸術は、型にはまった順応主義からも、「スキャンダルのためのスキャンダル」の商業的普及からも、同時に守られた位置にある。後者はどのみちいつも前者と似かよってしまうものではあるが、サルバドール・ダリの熟練ぶりも、それどころか、「パラノイア‐クリティック(偏執狂的‐批評的)」なる方法の提起する否定しがたい利点でさえも、彼の作品をいつまでも意識喪失から(それとも知的破綻から)守りつづけることができず、そのために彼は結局のところ、ヒロシマ時代の単調で逸話の多い俗悪宗教画家に変貌してしまった。もっと注意深く眺めてみれば、知的な厳格さの喪失と、道徳的な責任放棄とがいつも対になって進行している事態を認めることになる。とかく近代社会というものは、かつての叛逆者たちを道化として迎える。彼らはかつての思想を地口に変え、かつての尊大さを珍奇さに変えてしまうのだ。まさにそのとき、魔術師は「たのしい物理学教室」の実験教授どころか、街頭で見かけるような札当てゲームの賭博師になりはて、しかも警察からは大目に見られる。
      アンドレ・ブルトン『魔術的芸術』〔普及版〕巌谷國士監訳 河出書房新社 二〇〇二年六月三〇日発行 250〜251頁


 アンドレ・ブルトンはこの途方もない書物のなかで、自己もその運動に荷担し宣言をものしたシュルレアリスム運動における、サルバドール・ダリの独特の位置づけを正確に記述している。別の箇所で、ダリがその著作(『老いたる近代芸術の寝とられ男たち』未見)で紹介しているエピソードに注意を喚起する。それによると、ある日ピカソがダリに「自分の灰色のキュビスムを礼賛する演説家たちのなかには、そのタブローが何を描いているのかを見ぬける者などただひとりもいなかった、とこっそり打ちあけた」という。アンドレ・ブルトンは、ダリがこの挿話に皮肉と優越を感じただけで、肝心の点を「見ていない――あるいは見ないふりをしている」という。該当のピカソ作「クラリネットをもつ男」は、それまでの「視覚的レアリスム」の基礎になっていた、画家がその絵を描くために前にした対象と、絵を前にして見ている者がその絵になかに認める対象との、カンヴァスを仲介した無条件の一致から絵画芸術を解き放つという意味で、キュビスムの典型的な作品である。そのとき、絵を見るものがタブローをまえにして感じるのは、「男」や「クラリネット」といった特定の対象ではなく、灰色の色彩と複数の視点によって構成された幻想的構造物である。「観者のほうはほとんどの場合、得られた結果しか考えないのが当然で、多かれ少なかれ同意のうえで『鏡の向う側』にいる自分に気づくことになる。」こうしたキュビスムが導入する新たな関係――「純粋に感情的な関係」――に比べれば、「ダリが標榜しつづけている「写実的な」表現の形態など、とうの昔に時代遅れだ」とブルトンはやや性急に断定する。もっとも、ブルトンはこの著作のなかで一貫して、逸話(アネクドート)に還元されるような理解の害悪を指摘している。彼によれば、シュルレアリスムこそが、美術の歴史上唯一といっていい、逸話による理解から真に自由な知的運動体である。彼にあえて逆らってダリの奇行のひとつを最後に記す。ダリは、自伝となる著述にとりかかったとき、サイズのあわない小さなぴかぴかのエナメル靴を履いて机に向かったという。彼の上半身の集中力は常に、机の下の鬱血していく足の痛みによって妨げられた。
 このブルトンの著作には、最良の神智学者の記述にもみられるような、糾弾する敵に対する単純な無知がみられるが、おそらく戦略的にとられたであろうその姿勢が、魔術というものが存在するか否かの証明ではなく、魔術が最古の昔から、ラスコーの壁画やナスカの地上絵より以前に確固として存在したという前提で進められるため、この途方もない美術史が、歴史を語るために選んだ画家と魔術師の称号との区別をほとんど設けていないからといって驚くことはない。とりわけ啓蒙時代の合理主義的無神論者であるヴォルテールやあらゆる写実主義の絵描きが槍玉に上がっているが、それは単に彼らが魔術師の素質に欠けるばかりか魔術を理解しない(できない)からに過ぎない。この本はあくまで魔術的な芸術一般の通史なのであり、魔術は存在するのである。
 また、図版の多さとその選択の確かさによって、われわれは本論では直接には論証されていない比較、たとえばルネ・マグリットの『光の帝国』の横にアルノールト・ベックリーンの『死者の島』を置いて鑑賞する楽しみを味わうことができるだろう。