教訓の検討

 『イソップ物語』(岩波文庫版)から、よく知られた話を引用する。タイトルは、「農夫と息子たち」である。

 死期の迫った農夫が、息子たちを一人前の農夫にしたいと思って、呼び寄せてこう言った。
「倅たちや、わしの葡萄畑の一つには、宝物が隠してあるのだぞ」
 息子たちは父親の死後、鋤や鍬を手にとって、耕作地を隅から隅まで掘りかえした。すると、宝物は見つからなかった代わりに、葡萄が何倍も実をつけた。
 人間にとって、苦労こそが宝物だと、この話は説き明かしている。

 『イソップ物語』では、短い挿話のあとに教訓が語られる。そこで、教訓はだれのものか、という問題がある。この物語集に収録されている物語は、大きくわけてふたつの教訓に分類することができる。ひとつは、ある登場人物の成功や失敗、行為の目的と得られた結果の関係に対する洞察を示したものである。このタイプの教訓は、行為の実践は物語を語るという行為においてその真の価値を引き出されるという意味で、教訓は登場人物の経験から直に抽象される。ふたつには、同じようにある行為の成功や失敗が語られながら、実践のうちに教訓が引き出されることはなく、登場人物の成り行きを見守る第三者(語り手・読者・狡猾なカラス)によって、教訓ははじめて引き出されるものである。では、引用した物語はどちらに該当するだろうか。
 この農夫が示す宝は、金でもなければ地中にも存在しない。宝は、それを手に入れるという目的から手に入れるための手段への移行として捉えられる。つまり、農夫の遺言は、はじめは息子たちに対する偽りのメッセージとして機能する。架空の宝をそれと知らずに追う息子たちにとって、宝ものは目的として機能している。この農夫は賢明にも、息子たちに苦労の美徳を説いたところで聞き入れられることはないと知っている。よって、苦労の美徳は目的として告げられることなく、鍬や鋤を振るうという手段に付随する。そこで考えてみよう。この教訓はいったいだれのものなのか、と。この話がもって回って苦労の美徳を知らせた奸智を示す教訓だと結論をつけることもできる。これはふたつ目のタイプとして読みとった場合で、読者はその目的に従って教訓を探り当てる。しかし、ひとつ目の教訓として読み取れないこともない。息子たちは、隠された宝物を掘り当てるという行為を通じて畑をたがやし、葡萄が実をつける。教訓の所在は当初の目的から得られた結果にすり変わっている。無から葡萄の実がついたのは農夫が嘘をついたからだが、この場合教訓は異なって存在する。では、苦労こそが宝物だと悟ったのは、本当に息子たちなのだろうか。彼らは自分たちがしていることをしらない限りで嘘に近づき、すれ違う。われわれは、この嘘がどれくらいの寿命を持ちうるのかを考えてみなければならない。もし、葡萄がたわわに実をつけた時点で嘘が見抜かれたのだとしたら、葡萄は確かに無から生え、無に成り代わったのだといえる。嘘と教訓はその位置を入れかえ、宝はその姿を変貌させる。しかし、文章は葡萄がたわわに実った時点で物語としては終わっている。物語が終わり、教訓にかえられたわけだが、仮に嘘がそのまま続いたとしたらどうか。その次の年も、そのまた次の年もこの嘘が続き、寿命を永らえて息子たちは畑を掘り返し続けたとしたら。息子たちは宝物を二重に見つけられない。宝は金銀財宝として土中に存在せず、偽りのもとに父が伝えた教訓にも成就しない(読者は知る)。彼らはひたすら遺言の命じるままに、土を掘り返し続ける。あくまで知らぬ間に教訓を実践する。たわわに実った葡萄など目もくれずに。この書かれざるイソップ物語の展開は、われわれに別種の教訓を与えてくれる。裏側に存在する第一の教訓はこうだ。「人間にとって、いかなる労働においても対価を詮索すべきではないと、この話は説き明かしている。」
この教訓は、本来であればイソップが語っている正式な教訓と対になって存在してしかるべきものである。なぜなら書かれたほうの教訓は、父が偽りのもとに伝えようとした教訓を息子たちが理解するには、父がそれを真実としては伝えなかったからだ。血のつながった実の息子を信用していなかったから、教訓は、嘘のもとに伝えられた。この苦い事実とともに教訓は受け止めなければならない。なすべきことを知らない。そのときだけわれわれは善行をなしうる。この認識は非常にペシミスティックである。息子たちは、それに気づいてなお苦労こそが宝物だといいうるだろうか。行為はあっても結果は必ずしも約束されていない。それに、そもそも労働に対価が約束されていると前提にすることは、危険なことではないのだろうか。どのような形であれ報いられたと考えることは、結果がすべてを正当化するという意味で、われわれを常に無力に陥れる。なぜなら、息子たちが表向きの教訓についに至らず、鋤や鍬を投げ出し、葡萄には目もくれずにすべては不毛だったと結論づけるときも、結果がすべてを正当化することにかわりはないのだから。そして、われわれを虐げ、打ちひしぐのは、結果ではなくて、結果にふされる教訓である。
ひたすら登場人物に寄り添うことで導かれる教訓は必ず存在する。仮に物語を読むだけで教訓や世間知を手に入れられるとしたら、それは必ずしも物語を語るという方法で伝えられなくてもいいはずだ。物語を語ることと、教訓を語ることのあいだには、等分に結びつけられない余剰が存在する。物語は行為を追いかける。いつまでも、いつまでも。そしてくぎりをつけるために、教訓をつけ加えずにはいられない。しかし、行為がすでになされたということが、語り手の意図をすり抜ける。だから、こう言わなければならない。畑を耕すことは、目的はおろか、手段としても正しいと言えるだろうか。その行為だけが確実な事実で、教訓は行為に関わる解釈の周囲を旋回している。なぜ、畑を耕さなければならないのか。その行為は、宝を手に入れるためにせよ、葡萄畑を耕すためにせよ、本当に正しい唯一の行為なのだろうか。それをなぜするのか、本当の意味を息子たちは知らないのに。
だから、裏側に存在する第二の教訓はこうだ。「人間にとって、教訓はいかなる行為も導くことはないと、この話は説き明かしている。」
ひとつの可能性が考えられる。「人間にとって」という主語を限定しないかぎり、物語は常に読みかえられる。だから、このエッセイを「耕す」という言葉で語らずに、「復興」という流行り言葉で語ることもできたはずだ。われわれは知らず知らずのうちに、「復興」が意味するメッセージを読みかえている。教訓はある。ありすぎるといっていいほどだ。しかし、もとの行為と同じ行為をまたしなければいけないと言い換えるのはだれか。「以前のように」と横から繰り返し唱えるのはだれか。過去の誤謬を知ってまでなお過去をくり返さなければならないと断定するのはだれか。いったいだれが「復興」を正しいあり方だと考え始めたのか。正しさの名のもとに昔が語られるのはなぜか。それが教訓の保証のもとに語られだすのはなぜか。途端にだれもその行為の意味について考えなくなるのはなぜなのか。結果が価値を保証するという楽天的な考えは、生き残った人間に染みついた一生の怠惰なのではないか。すべてが忘れ去られる。ただふたたび思い出すために。その満ち足りた静けさが平和の意味なのだとしたら、われわれはまた「復興」する機会に恵まれるはずだ。ありあまる教訓とともに。だが、なすべきことを知っているといえるのか。ただ教訓を知っているというだけで、かつてそうであったからそうし続けているだけではないのか。それをし続けるのは、実際のところ教訓がなんなのかを、われわれが知らないからではないのか。知らないから隠されていると思いこんでいるだけなのではないか。隠しているのがだれかを知らないのは、実際には隠すものなどなにもないからではないか。自分で隠しているだけなのだとしたら、見えているのに見えないと言う習慣が、あまりにも長いあいだ自らを欺き続けたからではないか。欺くのはそうすることでなにかが得られると考えているからだ。ただずっと待ち焦がれている。それが本当になったら教訓になったとあとで言いたいがために。本当は自分にではなく、ほかのだれかにそうつぶやきたいがために。耳もとでしたり顔をして待ち構えているだれかに気づくこともなく。だから私は考える。なぜ、畑を耕し続けなければいけないと息子たちは思うのだろうか。今このときでも、地中の嘘の毒素をたっぷり吸った葡萄が、たわわに実っている。嘘が教訓にすりかえられただけなら、二〇年経っても世界はなにも変わらないだろう。葡萄は実り、収穫されるが、人間は変わらない。そうと知らずに自らを欺きつづけるかぎりは。