(その六十二)徘徊

 商店街を徘徊する小柄な老婆の姿が見られるようになったのは、去年の夏ごろからだった。老婆は輸入雑貨が店内にところ狭しと置かれた店内に入ると、ここが板土間だったころから知っていると言わんばかりに奥の帳場に押し掛け、紫色に髪を染めた店員に気安く声をかけた。マホガニーの棚には品物をいれる平皿が並べられ、色とりどりのタイルや鋳鉄のドアフック、マッチ、香油、鍵が盛られていた。対面の壁にはところどころに釘が打ちつけられて、ホーローのマグカップやキーホルダーがぶら下がっている。その下のショーケースの中には光をことさら反射するようなガラス製品が鎮座し、フットライトとランプシェードの明かりでぎらぎら光っていた。天井に近い壁には、もはや動くかどうかもわからない壁掛け時計が雑貨類とは桁が3つか4つほどちがう値札の上に鎮座していた。さらに足元には写真用のメッキがはげた額縁がずらりと立てかけられていたので、狭い通路をすれちがうにも気をつかった。その輸入雑貨店は、見事に9のようなかたちをしていた。入り口が9の真下にあり、帳場があるのは一番奥、つまり9のてっぺんのあたりである。そのため、9の上の部分にしげしげとタイルの品定めする客がいたとしても、うまくまわりこみさえすればだれともすれ違わずに帳場にたどりついて会計を済ますこともできたし、だれもいなければぐるりと帳場のまえを通り過ぎてそのまま帰ることもできた。しかしながら、いつまでも長居をつづける老婆を放っておくわけにはいかなかった。店員は手慣れたようすで老婆を外に連れ出し、客の通れるスペースを確保した。この作業は、多いときで一日に15回はくり返された。老婆はいつでも新鮮な気持ちで、初めてそこに入ったという風に、「いつからお店を始めたの?」と聞いた。老婆は9の入り口に入るといつでもそれを聞きたいと思っていたのだ。ほんの挨拶のついでに。
 紫色に髪を染めた店員は、品揃えの珍しさから店に入ってくる客こそ絶えなかったが興味本位の目線を投げかけるだけで帳場にいる自分の前を通り過ぎてゆく無慈悲な客の横顔に飽き飽きしていたので、日ごとに繰り返される老婆との会話に気晴らしのつもりで引受けていた。
「いつからお店を始めたの?」
 そんな風に、老婆は何度も訊ねてきた。