(その百三十四)花井お梅

毒婦花井お梅。美貌と気っ風の良さで知られたお梅は、芸妓として名を挙げ、浜町2丁目に待合茶屋「酔月楼」を開いた。茶屋の名義鑑札人である父親の花井専之助は、士族の商法を地で行く下級武士で、縁故も商才もないまま放漫経営をつづけた。お梅は大げんかの末に店を飛び出し、憂さ晴らしに歌舞伎役者の4代目沢村源之助に入れあげた。この関係は長くはつづかなかった。貢ぎ物として贈った着物の扱いがきっかけで刀傷沙汰の騒ぎとなり、源之助の付き人をしていた八杉峰吉ともども追い出されて、元の芸者にもどった。お梅は峰吉を箱屋として雇ったが、峰吉は三味線を運ぶだけの仕事に飽き足らず、専之助に茶屋の経営に関して注進するばかりか、裏ではお梅の悪口をふれ回っていたという。明治21年の6月9日、峰吉に呼び出されたお梅は、雨の降りしきるなか揉み合ううちに峰吉を刺し殺した。凶器となったのは出刃包丁で、お梅が持参したものとも現場付近におあつらえ向きにも落ちていたものともいう。お梅は長い拘留と裁判闘争のすえに正当防衛が認められて出所した。事件から実に15年後のことだった。その後のお梅の生活は、拘留中にさまざまな実録物に色どられた毒婦の現物をひと目見ようとする野次馬に追い立てられ、浅草千束町に開いた汁粉屋も神田連雀町に開いた洋食屋も長続きはしなかった。客商売がうまくいかないお梅はついに決心して、自らを売り出すことにした。芸はあるが演じたことなどないお梅は、旅芸人の一座に加わった。彼女の唯一の当り役は、「毒婦花井お梅」を主役で演じることであった。この奇を衒った演出の人気は、しかし長続きはしなかった。その原因はいくつか考えられるだろうが、おそらくその凶行の場面は、実際にそれをした本人が演じても迫真性を増すことがなかったのだろう。あるいは、なんども過去の自身の行いを繰り返すことに、彼女自身が飽いてしまったのかもしれない。劇中では、八杉峰吉は殺されて当然の男のように描かれていたが、彼女の記憶にはそうした否定的な側面ばかりを見つめるにはあまりに生々しすぎたし、15年という時間の経過は必ずしも忘却ばかりを彼女に差し出したわけでもなかった。花井お梅は晩年四谷の貧民街に身を落し、肺炎で亡くなった。