本屋にて

 吉祥寺のビルの地下にある本屋で、以前から気になっていた本を探していると、女が声をかけてきた。かげでこそこそしかけたいたずらを見つけられた少年のように、私は身をすくめて手に取った本を急いで棚に戻した。声の主に目線を移すと、女は私ではなく本棚を見ていた。
 彼女は縁のないめがねを人差し指でそっと上げた。紫と橙色の奇抜な花柄のワンピースに、フリルのついたスカートをはいていた。ナイロン製の安価なリュックサックを背負い、足もとは、初めてパンプスに足を通した幼女がまとうような小さなリボンのついたシルクの靴下に、ナイキの履きつぶしたシューズという格好だった。控えめに言って、服装とまったく合っていなかった。あるいは雨が降っていたので玄関先でナイキを選択せざるを得なかったのかもしれない。いずれにせよ、私は昔から思っていた疑問をくり返した。少女趣味のどぎつい色彩にひらひらした素材を試着室で真剣に選ぶ勇気のある若い女が、同じくらいの考慮を自分の髪型とかメイクとかめがねに払わないのはなぜだろうか(実際、私の目のまえにいる女も地味に黒いゴムバンドで後ろ髪を結わえていた)。この日常性とハレの雰囲気の居心地の悪い同居は、もしかしたら着せ替え人形と関係があるのかもしれない。などと想像していると、女はあいかわらず私を見ないまま言葉を続けた。
「ここって映画とか演劇の関係者がよく来るんですよ。もしかしてシネフィルですか?」
 私は断じて違うと否定した。その本屋は初めて来た場所だったし、シネフィルと呼ばれるのは心外だった。あれはもはやパンタロンのような存在だった(東京にはいつ見てもパンタロン姿のシネフィルもいる)。私があまりに強く否定したために、彼女の顔につばが飛びそうになったほどだ。女はそれにも動じずにぼんやりと私を見つめた。私は説得にかかった。
「シネフィルというのは、服装の皺を見れば分かります。服は自然な肉体の動きに合わせて皺を作りますが(私は間接の内側をそれとなく示した)、シネフィルのよれた服の皺は背中にしかできません。四六時中映画館で座っているから、背もたれと背中の接着面が彼らのなかで最も活発に熱を帯びる場所なんです」
 私は後ろを向いて証明したが、事前に皺があるかどうかまでは確かめられなかったので、いくぶん自信がなかった。再び女のまえを向くと、女は口をあんぐり開けて眼を大きく見開いていた。私はひるんだ。互いに圧倒されたような按配だった。相手も人見知りなのだろう。そんな気がした。それなのに見知らぬ人にしゃべりかけ、会話を始めたばかりか、一回転までしている。本屋にBGMはなく、人影はまばらで、声は不必要に大きく響いた。
「それに、本当のシネフィルは本屋にはいませんよ」と私は言い添えた。話しかけた手前、女は私がしゃべるたびにこちらを向いたが、興味は本棚にずっとしばりつけられていた。
「そうなんですね。あたし、今度舞台に立つんです。なにかいい本ないかなあって思って探してたんです」
 私は相槌を打ちながら、そっと女が小脇に抱えている三冊の本に目を落とした。おもての一冊だけ書名が見えた。それからすぐに女を見た。いかなる意味合いも気取られないように。それは新書で「鬱病との向き合い方」というようなタイトルだった。
「はじめてなんで、どうしたらいいかわからなくて。そしたらここの書棚を熱心に見てたんで、もしかしたら関係者のかたかなあと」
 私は関係者でもないと伝えた。そう口にしながらさきほど目にした本のことを考えていた。彼女は役で「鬱病」の人間を演じるのだろうか。そうであれば、役者のキャリアの最初としては間違いなく難役だろう。彼女の苦労は察することができる。しかし、彼女自身が「鬱病」で、それでもライトを浴びる舞台に上がろうとしているのだとしたら。もっとも、この病気は自称が多いというくらいしか知識がない。私には判断がつかず、聞く勇気もなかった。
 女は目当ての人物ではないと分かったあとも、話したいことがあるらしくてしばらく本棚の本のタイトルを読み上げて、私に読んだことがあるかと聞いた。女は人差し指を立てて、規則正しく書物の並んだ背表紙の上を水平にすべっていった。その仕草は図書館のような大きな書棚が並んだ空間で本を読み慣れた人間独特の所作で、むだがなく美しかった。彼女が選択する本は、名前を聞いたことがあるくらいで、ほとんど読んだことがなかった。
 女はうれしそうに本を紹介してくれた。それらの評価は一貫して、「暗い」とか「病気」とか「ねちっこい」とか「もとに戻れない」という基準で測られていた。私があまりいい読書家ではないことに彼女は気づくと、「これなんかはまだダークじゃなくていいですよ。わりと暗いですけど」と一冊の本を紹介してくれさえした。
「ここっていいですよね。趣味のいい人たちが来るし、面白い本がたくさんあるし。あー、舞台に立つの緊張するなあ」
 私はどことなく居心地の悪さを感じてきて、その場を立ち去りたくなった。私は女の話になんども相槌を打った。映画や演劇の書棚のまえにはずっとふたりしかいなかった。さして閑散としているわけではないのに、なぜこの領域だけ人がいないのかと、話を聞きながら私はさりげなくあたりを見回した。隣の漫画コーナーの書棚の奥に、小学生の男の子が二冊のタイトルの違う本を左右にもって真剣な表情で悩んでいるのが見えた。
 私は彼女の説明をさえぎり、「さしてダークじゃない」本を手に取ると、「じゃあ、これを読んでみます」と言って女を見下ろした。
 女は当然嬉しそうな顔も悲しそうな顔もしなかった。私はそのままレジを目指してくるりと背中を向けた。
 帰り道、とくに買う気もなかった本を小脇に挟みながら、私は自問自答していた。あのフリルのスカートからナイキのシューズを履いた脚を伸ばしていた女は、ただひとつの言葉を求めていた。私はそれが痛いほどわかっていた。それだけに、言いたくなかった。女が「鬱」かどうかで逡巡したのは、私のポーズに過ぎなかった。問題は役柄でも健康状態でもなく、彼女が初めて舞台に立つということだった。「がんばってください」、「応援してます」と、ただひと言言うだけでよかったのだ。女は見ず知らずの人間に言葉を求めていた。理由はわからないが、おそらくそういうことなのだろう。だからこそ、私は言うのをためらった。
 私は後悔したが、彼女が落胆しているわけでもなかったこともまた知っていた。彼女にとっての私はその程度に他人な存在で、なんら重要ではなかった。その事実が私を苛立たせ、読む気もない本を買うはめに追いこんだのだ。私は言い訳を述べるように立ち去った。この場合、言わないのと拒絶するのは結局のところ同じことだ。だから、私はただ後悔した。自分のちっぽけな価値を揺るがせたくないばかりにそうしたことを。私が考慮に入れていなかったのは、自分がうっかり特別な存在になる可能性だけだ。捨てられない虚栄心が、無用の人間であることを選ばせたのだ。もてない男の方が強がりだということは本当だと思った。
 私は女の顔を思い出した。女は私の顔を見るとき、目でなく鼻を見つめるので、メガネの奥の瞳は少し寄り目になっていた。自分で自分の視線を捕まえようとしているみたいだった。
 しばらく商店街をぶらついてから、Nと会った。彼は、最近小説を書いたそうで、私に読んでほしいという。私は喫茶店のテーブルでNをまえにして印刷されたコピー用紙の束をめくった。震災後に急にアイディアが湧いて一気呵成に書き上げたものだという。それはソフトSFと呼ばれるジャンルで、X〇〇年後の地球を舞台にしていた。そのころ、「かつて先進国と呼ばれた国の人々」は、天変地異や人災によって放射能汚染がすすみ、程度は異なるものの軒並み被爆していて、結婚するにも両者の放射能被爆の測定値が一定値以下でなければならないと法律で禁じられていた。そうしないと、出産に影響が出るからだ。国と企業は手をつないで将来のややこしく終わりの見えない補償問題に先手を打った(面倒が起きたら自己責任というわけだ)。身分を証明する免許証やパスポートには、年二回の健康診断の測定値結果の更新が義務づけられていた。こうした規制は監視体制をいたずらに強化厳密化し、司法の適応領域はセックスを含めたあらゆる接触行為に及んでいて、満足に手をつなぐことすら叶わない(Nの描く世界では「自粛」という言葉が法文に明記されて法的な拘束力を持っていた。もっとも一方では、官僚は辞職を「自粛」と言ってほとぼりが冷めてからまたなんらかの役職に復帰したり、さかしらな子どもはいじめることを「自粛させる」と言ったり、評論家は未来のことを「自粛の果てに」と述べたりしていた。自殺する人間も依願退職する人間も病気の人間も「自粛する」と言った。だから、恋人たちは避妊を「自粛」と言うばかりでなく、法律が許さぬ恋を「自粛できぬ衝動」と呼んで忍んだ)。主人公はそのため愛する女と結婚することができず、「かつて恵まれない人々」と言われていた山間部族が放射能汚染を免れた優生人種として君臨する国際機関の目の届かない、秘密のコロニーに脱出を試みる。
私はコーヒーのお代わりを注文した。Nにも聞いたがいらないという。店員は鼻で息をしながら注文をくり返して立ち去った。Nは溶けたアイスの水をストローですすった。私が読み終えたのは半分ほどで、ちょうど主人公の逃避行が行われている場面だった。おりしも宇宙空間に投棄したプルトニウムその他の有害な物質に被災した宇宙人が地球に攻めてくるというニュースが、メキシコのティワナという地域でコロニーに斡旋してくれる友人の連絡を待っているふたりのもとに届けられる。彼らの体内には現代でも実用化されているべリチップが哺乳器に収容された段階で埋め込まれており、当然のようにふたりの逃亡は発覚するのだが、偶然にも宇宙人襲来と重なったために衛星通信システムが一時的に機能しなくなり、追跡を逃れるという設定だった。一難去って、飛来した宇宙人は、Nが架空の名前をつけた惑星から武器をしこたま抱えてくるという(ひと昔まえのSFにありがちだが、遠隔操作できるミサイルやレーザーよりも地上戦がお好みの戦闘的な宇宙人だった)。もともと彼らの美的価値観を担っていたスプリングのように伸びるえらや、三〇年に一回訪れる求愛の時期に用いる脊椎の形状が示す独特の模様(マックス・エルンストのある絵を使って説明していた)が、地球から投棄されたプルトニウムによって跡形もなく変異してしまったという。Nは大胆にも、視点を宇宙人に移すことなく描写を試みるために、地球上の衛星のひとつから襲来する宇宙船を捉えた劇的な写真が届けられた、と説明している。あろうことか宇宙船のコックピットから操縦桿を握る宇宙人の姿が強化ガラス越しに見えたというのだ。私はなんだか雑誌「ムー」みたいだと思った。
ここまで読んでNの顔を見上げた。
「なんとなくわかったよ」と私は言った。「きっとこのラストは『猿の惑星』だろう」
 Nは何も言わなかった。
「宇宙人は形態変化したら人間そっくりになっていた、って展開だろう。地球に着いた宇宙人は、Nのつけた名前だとマカロニ星人は、そこで退化したと思っていた自分たちとそっくりな姿を発見する。だから彼らは加害者を発見できない。そんな落ちだろう」
 Nはやっと口を開いた。
「違う。『猿の惑星』の理解だって違う」
 私は続きを読み始めた。確かに違っていた。というか、全然違った。私はNに謝った。
 Nは私の隣の空いた席に置いた袋を指差して、それはなんだと聞いた。さっき本屋から脱出するために買った本だった。
私はプレゼントだと言ってNに進呈した。
「この本みたいなものなんだ。恋人たちを脱出に駆り立てた数値なんてものは」と私は言った。「脱出するかどうかはそれほど大事じゃないんだ。問題は……」
 Nはそこで話をさえぎった。
「まだ途中だよ」とNは指摘すると、私があげた本を開いて読み始めた。
「これって面白いの」とNは聞いた。
 私は首を振って応えた。それから、まだ記憶に新しい女の言葉をくり返した。
「そんなにダークじゃないよ。暗いけど」
 私はその後一時間以上かかって読み終えた。エピローグは、宇宙人に征服され、コロニーに脱出した主人公たちが迎えた出産のあとの世界を描いていた。