2012-06-01から1ヶ月間の記事一覧

(その三) ストーリー・ヴィル

「盛り場の王」トム・アンダーソンはランパートとフランクリンの間に住んでいた。彼は毎年、ニューオリーンズの売春婦をひとりのこらずリストアップした青表紙を出版していた。これは町の盛り場へのガイドブックで、カスタムハウス一二〇〇番のマーサ・アリ…

(その三十一) ヘンリー・ダーガー

山手線の車内。水玉模様のミニスカートをはいた女の子。父親と祖母といっしょに行楽にでかけた女の子は、朝方降っていた雨が止んだことをとても喜んだが、折りたたみの傘が邪魔になった。同じ水玉模様で揃えられた傘は、しばらく女の子の手のひらでもてあそ…

(その三十) 慣れ

「そんなことだろうと思ってたよ」と期待してた表情も見せず、にんじんはそっけなく答える。 にんじんはそれに慣れている。ある事柄に慣れると、それがついにはちっとも可笑しくはなくなるのだ。ジュール・ルナール「にんじん」 佃裕文訳(『ジュール・ルナ…

(その一)ハリウッド・ビジネス

レイモンド・チャンドラーは、自身の脚本作である「見知らぬ乗客」を、五週間と一日で仕上げた。その脚本には、その後多くの変更が加えられ、「去勢され」た。本人がテロップに名が刻まれるのを拒もうかと考えたほどだった。

(その九十八) ジャン・パウル

ジャン・パウル。――ジャン・パウルは、非常に多くのことを知ってはいたが、しかし学問を持たなかった。いろいろな芸術におけるさまざまな呼吸に精通してはいたが、しかし芸術を持たなかった。享受できないと見なすものは何ひとつ持たなかったが、しかし趣味…

(その九十七) 三船敏郎

三船は、それまでの日本映画界では、類のない才能であった。 特に、表現のスピードは抜群であった。 解りやすく云うと、普通の俳優が表現に十呎かかるものを三呎で表現した。 動きの素速さは、普通の俳優が三挙動かかるところを、一挙動のように動いた。 な…

(その九十六) U田ル

引っ込み思案だがどこかぼんやりしたところのあるU田ル。大学時代、雨に塗りこめられた大教室でのたいくつな講義のあと、入口の傘立てにさした傘があっという間に盗まれてしまうということは、学生ならだれもが知っているはずなのに、授業のあと蒸し暑い廊…

(その九十五)テレンス・ウィリアム・レノックス

「なぜひきうけてくれるんだ、マーロウ」 「ひげを剃るあいだ、飲んでてくれ」 私は隅っこにうずくまっている彼を残して台所を出た。彼はまだ帽子をかぶって、トップ・コートを着ままだった。だが、やっと生気をとりもどしたようだった。 私は浴室に入って、…

ふたりの映画作家の対話

若い、といっても中堅といっていい年頃の映画作家が自作について語る。 「今回のテーマはファム・ファタールでした。運命の女とはなにか。女はふたりの男のあいだで引き裂かれます。過去に振り切ったはずの男と、未来を託してもいいと一瞬でも思った男。演出…