ヤクザ研究ノート(1)

 かつて山口組組長三代目田岡一雄は、マスコミに向かってこう語ったことがある。
「もし国が組員の更正のために、一人三〇〇万ずつ更正資金を与えてくれるなら、山口組は明日にも解散する用意がある」。
おりしも警察庁は一九六一年から「暴力団全国一斉取締」を準備し、要綱が閣議決定され、大々的なキャンペーンを張った。それは交通安全運動のような一過性のキャンペーンではなかった。一九六三年三月、警察庁山口組、本多会、柳川組、錦政会、松葉会の五団体を「広域暴力団」に指定し、翌年にはさらに五団体が加えられた。これを受けて各都道府県警は、暴力団取締の専門部課(いわゆる四課)を新設した。組の資金源が調査監視され、ピストルや刃物、爆発物などの凶器の摘発の強化が徹底されたが、これまでの犯罪対策と決定的に違っていたのは、治安当局の矛先が組織の末端組員だけではなく、幹部や組長クラスに向けられたことだ。一九六六年九月三〇日までに、延べ一七万人あまりが検挙拘引され、二万点に上る凶器が押収され、解散は四七五団体、離散は五二五団体に及んだ。逮捕を免れた組員も、三万人以上が行き場を失った。世に名高い日本警察の威信をかけた全国一斉取締は、「頂上作戦」と呼ばれることになった。
引用した田岡一雄の発言は、一九六五年四月三〇日の記者会見で述べられたものである。すでに主要な「広域暴力団」が解散を余儀なくされ、山口組にも兵庫県警の執拗な捜査が行われ、直近の舎弟幹部の切り崩しが図られていた。そのため、マスコミは田岡一雄の発言を、トップの開き直りか一種の逃げ口上と捉えて鼻で笑った。
ここにもうひとつの発言がある。
北野武はあるインタビューのなかで、自分が仮に芸能界を引退したとき、たけし軍団の構成員の将来はどうなるのか考えると口にしている。フライデー襲撃事件で弟子一一人とともに現行犯逮捕されて一時的に芸能界を干され、監督の交代によって映画を撮りはじめ、一九九四年八月二日のあのオートバイ事故を経過したあとのことである。奇跡的に事故から生還した北野武は、それまでも引き続いてくり返された内省を重ねる。一部では「巨匠」と呼ばれることになったこの男は、テレビのなかでは「ビートたけし」の芸名であいかわらず着ぐるみを着ていた。そして、引退したあとのことを考えると、軍団員が新しく生活が立てられるくらいに金を残しておかなければいけないと結論する。その額は、一人二〇〇〇万円と見積もられる。
両者の発言には、おそらく相違よりもずっと多くの共通点がある。時代を考えれば、金額の大小はちょうど釣り合う。ふたりとも、常人には想像もつかないあまたの危機を乗り越えてきた経験から、ごく率直に信念を語ったのだろう。田岡一雄の発言がけっきょく実現することのなかったように、北野武の発言も実現することはない、と信じたい。しかし、私が山口組たけし軍団というふたつの類を見ない組織について考えるとき思い浮かぶのは、資質を違えた両者の余生に関するこれらの発言である。「親分」、「殿」とそれぞれ呼び習わされた男たちは、あっけないほど簡単に組織の解体を語る。そこにあるのは果たして執着のなさだろうか。あるいは分別だろうか。あるいは思いやりだろうか。
それだけではないと考える私は、ここに「ヤクザ研究ノート」を開始する。この短い文章が初回にあたる。ノートが閉じられるときに、私はふたたびこの対比に戻ってくるだろう。