(その三十三)合図

 次の日午後早く、列車をおりたときは、サン・ディエゴの町は、陽気にゴッタがえしていた――国境向うの、競馬シーズン最初の土曜日に引きよせられた連中で、いっぱいだった。ロス・アンジェルスの映画屋、インペリアル・ヴァレリーの百姓、太平洋艦隊の水兵、ありとあらゆる方面から流れこんだ、バクチ打ち、観光客、香具師、それに、なみの人間までが、ウヨウヨとあふれていた。ぼくは、昼めしをすますと、手ぢかのホテルに、カバンをほうりこんで、電報で頼んでおいた、ロス・アンジェルス支社のの探偵に会いに、グランド・ホテルに出かけた。
 めざす相手は、ロビーにいた――二十二かそこらの、ソバカスだらけの顔をした若造だった。あかるい灰いろの眼を、手にもった競馬の番組に、いそがしく走らせていた。その手の指には絆創膏が巻いてあった。ぼくはその男のそばを通りすぎ、タバコ売り場に、立ちどまって、タバコをひと箱買い、自分の帽子のありもしないくぼみしわを、手でのばすふりをした。それから、また、通りへ出た。絆創膏を巻いた指と、帽子をいじくるしぐさとが、ぼくたち仲間どうしを見わける目じるしだった。独立戦争よりももっと前に、だれだかが、そんなことを思いついたのだったが、今でも、なんの支障もなく通用しているのだから、古くさいといって、それを捨ててしまう理由はなかった。

ダシール・ハメット「黄金の馬蹄」『探偵コンチネンタル・オプ』砧一郎訳 早川書房 早川ポケットミステリブックス586 昭和五一年一〇月一五日第三刷発行一四〇〜一四一頁