(その四十三)ワーク

 山内はアマチュア時代から得意技のベリー・トウ・ベリー・スープレックスを掛けようと、フレッドの腰に手を回したが、フレッドが重心を落として踏んばっているいるので崩れてしまった。
「ハッハッハ。いくらユーがオリンピック代表でも、ウエイトの思い相手が技を掛けられまいと踏ん張ったら、スープレックスなど綺麗に決まるものではない。だがな、もう一度やってごらん」
 山内はもう一度同じ技を掛けた。今度はフレッドの体が空気のように軽くフッと持ち上がって綺麗に投げが決まった。フレッドは激しくマットに叩きつけられ、「うーん」と唸ったきりしばらく動けなかった。
(中略)
「ケンジ、今は、オレが協力したから、ユーはスープレックスを決めることができたんだ。それは分かるな」
「……はい」
「いいか。プロレスとはそういうものだ。相手が技を掛けてきたら基本的にそれは受けてやる。それにこちらが技を掛ける時は、相手にケガをさせないように注意しなければならない。それに相手が受け身を取れるように気を配って投げなきゃ駄目だ」
(中略)
 それからフレッドはいろいろなプロレス技の掛け方や受け方、ロープへの飛ばし方、走り方などを教えてくれた。その全てが山内にとっては驚くべき裏技というべきものばかりだった。
 いろいろと手加減の難しい技術ばかりだが、もっとも面食らったのはパンチの打ち方と受け方だった。プロレスラーのパンチは絶対にナックルパートでもろには打たない。本気で殴っているように見せながら、実は寸止めにしたりする。絶対パンチで相手にケガをさせてはならないのだ。受ける方も実際にパンチが当たったように体を敏感に反応させ、大げさに痛がったり、倒れたりしなければならない。
 フレッドが悟すように言った。
「これをプロレスの世界ではワークという。ワークこそプロレスで最も重要なテクニックだ。それができない奴はこの世界では生きていけない」
「……」
「もしボクシングのように、パンチを相手の顔面へまともにぶち込んでケガをさせたら、おまえのプロレスラー人生はそれでおしまい、と思ったほうがいい」

     ミスター高橋『プロレス聖書――キング・オブ・エンターテイメント』 ゼニスプラニング 二〇〇三年一二月一〇日発行 二八〜三〇頁

 〈プロレス界における絶対に犯してはならない最大のルールとは、相手にシュートを仕掛けないことである。これに尽きる。このルールを破った者は、その時点でプロレスラーとは言えない。また、あらかじめ決められた試合の結果を決して自分でいじらないこと。〉(一〇九頁)
 ミスター高橋は、かつてWWFがそうしたように「ケッフェイ」という暗黙の掟を告白することがプロレス業界の光明になると提言している。だが、彼の説く理想のプロレス像は、職業意識に基づく無数の定言命令に彩られており、かえって自由度を失っている。本書の九八頁以降の記述やミスター高橋自身が関わったマッチメイクの話を参照するかぎり、全能のマッチメイカーの命令に生真面目に服従してこそプロのレスラーという言い分は、あまりに額面通りの前提にすぎず、ショープロレスとしてもセメントありのストロングスタイルとしても不十分な意見である。