(その九十八) ジャン・パウル

ジャン・パウル。――ジャン・パウルは、非常に多くのことを知ってはいたが、しかし学問を持たなかった。いろいろな芸術におけるさまざまな呼吸に精通してはいたが、しかし芸術を持たなかった。享受できないと見なすものは何ひとつ持たなかったが、しかし趣味を持たなかった。感情と真面目さを持ってはいたが、しかしそれをひとに味わわせるためにさし出すとき、彼はその上にいやらしい涙のソースをふりかけた。それどころか、彼は機知を持ってはいた、――しかしそれは残念ながら、機知をほしがる彼の渇望にくらべてはあまりにも少なすぎた。だから彼は、まさにその機知のなさのために読者を絶望的な気持ちに追いこんでしまう。全体として彼は、シラーとゲーテの穏やかな畑の上に一夜にして生え出た、色どりの多い、臭いの強い雑草であった。結局彼は、一個のつきあいよい、善良な人間ではあったが、しかし〔文学または精神にとっての〕一個の禍い、――ガウンをきた禍いであった。


  フリードリッヒ・ニーチェ『人間的、あまりに人間的』=(ニーチェ全集6)』中島義生訳 筑摩書房 一九九四年二月七日発行 三四七頁