(その九十二) ジョン・エドガー・フーバー

 アイゼンハワー時代を通じて、私たちは平穏無事にFBIトップの地位をまっとうし、足りぬものは何もないという満ち足りた気分を満喫していた。だが、だからといって、自らの心の奥底に根ざす大きな苦悩からエドガーが少しでも解放されたかというと、そうではなかった。驚いたことに、エドガーは精神科医にもういちど相談してみようかと考えるようになった。
 エドガーは精神科医が大嫌いだった。罰を受けることなく道徳の調整ネジを勝手にいじる、唾棄すべき連中だと思っていた。彼はかなり以前から、精神科医を「ヌーディスト」と呼んで軽蔑していた。つまり、精神分析によって着衣をはぎとる商売をしていて、男は男らしく行動しなければならないという彼の信念に反する卑劣漢とみなしていたのだ。自分の内面に見知らぬ人が入り込んでくることに抵抗をおぼえない者はいないが、精神科医は、政治思想の面でも評判が悪かった。精神科医の多くは、自由主義的な思想の持ち主だった。エドガーから見れば、破壊思想につきものの責任回避を推奨する連中であり、精神科医の世界は共産主義者の巣窟のようなものだった。
 エドガーはかなり逡巡したあげく、最終的に、ワシントンの上流社会がよく利用するクリニックの精神科医に相談してみることにした。この医者は、尊大な態度をとることのない慎み深い男だという評判で、共産主義に親近感を抱いているとの疑惑もなかったが、それでも、数週間にわたって事前調査が行われた。エドガーがこの精神科医に会おうと決心するまでに、さらに二ヶ月を要した。彼は、精神科医に対して、自分の苦悩をかなり曖昧に伝え、誰かに助けを求めたいと言った。医師は、自分でよければと申し出た。
 さて、いざ治療を始める段になると、カウンセリングは自宅で行って欲しいとエドガーが言い始めた。通院して噂の種になりたくないというのだ。噂を恐れなければならないような問題を抱えているわけではないが、人々の注目をあびる職務にあるので、と彼は説明した。だが、自宅でカウンセリングを受けたい理由は他にあった。自宅なら、医者との会話を盗聴させる心配はないからだ。エドガーは、カウンセリングは気の置けない雰囲気の中で行って欲しいので、上着を脱いでもらいたいとも言った。これも盗聴器に対する心配からであった。エドガーは、医者との関係が私との関係よりもプライベートなものであるかのように、会話の内容は一切おしえてくれなかった。
 エドガーが人前で上着を脱いだことは、これまでに一度もなく、誰もが彼の上着には小型録音機が隠してあるにちがいないと思っていた。唯一、彼が上着を脱いだのは、マッカーシーに招かれて、彼の自宅で弁護士のコーンと一緒に夕食をとった時だけだった。
 エドガーが精神科医と会うたびにその会話の全てを録音しているとは私も思っていなかったが、実際には、最初から最後まで系統的に録音をしていたのだ。精神科医との接触を隠したかったのに、なぜ証拠を残すようなことをしたのか説明がつかないが、おそらく、医者に相談している自分はFBI長官の自分ではないと考えたからだろう。不思議なことに、この録音テープはエドガーの自宅には置かれず、医師の名前が記されたファイルにおさめられ、他の秘密のファイルと一緒に、秘書ガンディ女史の後ろに並んだ書棚に保管された。


マルク・デュカン『FBIフーバー長官の呪い』中平信也訳 文芸春秋(文春文庫版) 二〇〇七年二月一〇日発行 二二六〜二二八頁