(その九十九)森崎偏陸

 スクリーンのまえで、バスター・キートンはそこに境などないかのように軽々と跳び越え、ジャン=リュック・ゴダールはその手前で絶望的な欲情にふけらせた。スクリーンのてまえで現実と想像がせき止められる(越えられる)瞬間を描く欲望は、いつでも映画をつくる者を魅惑し続けた。寺山修司は切れ目を入れていつまでも歳を取らない人間を出たり入ったりさせた。四隅をゴムで止めたスクリーンは、三人の下着姿の娼婦に怒りを向ける孤独な政治青年の怒りのはけ口となり、投げ捨てられたポップコーンの油くさい香りを残して、縦に裂いた切れ目から青年を慌ただしく飲みこんでいく。映画のタイトルは「ローラ」。九分ほどの実験映画で、一九七四年に製作された。
 映画は一般的に、フィルムの上映だけで完結しているが、「ローラ」のちがうところは、フィルムに映し出された三人の娼婦に挑発される観客の青年が、客席に実在する点だ。つまり、この映画は、フィルムで上映されるかぎり、あらかじめ観客の青年が俳優として存在していなければ完成しない。青年を演じたのは、当時二五歳の森崎偏陸だった。彼は十六歳のころ、思い立つところがあって家出をして、天井桟敷の門戸を叩いた。以来、正式に入団して劇団の運営に関わり、映画やビデオ作品のスタッフとして参加し、寺山修司の個人秘書を務めた。
 森崎偏陸は、寺山修司の死の一ヶ月後、「作品の管理をまかされ」て寺山の母はつの養子に入り、三年後にこの戸籍謄本上の契約は解消された。はつの死の二日前、森崎偏陸はふたたび養子になり、親より先に死んだ親不孝な寺山修司の代わりにはつの最期を看取った。彼は寺山修司資料室の館長になり、寺山修司が残した膨大な仕事の保管にあたっている。
 ひとりの男の人生について考える。その男がなにを考え、なにをしたか。そんなひとりの人間のおこないが追認にしかならないような、人生について。運命はいつだって前もって決めた計画には書かれていない。天性の根無し草だった森崎偏陸は、戸籍という楔によって寺山はつにつなぎ止められ、作品という鎖によって寺山修司につなぎ止められた。
 森崎偏陸は、「ローラ」が上映されるたびに、あの二五歳の冬に戻るために、「厚手のエンジ色のジャケット」を身にまとい、三人の下着姿の娼婦の態度に怒りを震わせ、ポップコーンを投げつけ、想像された世界の安全性を保証するスクリーンに向かって走り出す。上映されるたびに、何度でも。縦に裂かれた切れ目に潜りこんだ瞬間、カットは変わり、生身の森崎偏陸はスクリーンの裏側に消え、映し出される平面の人間になる。ただ、寺山修司がそのようにシナリオに書いたがために。