(その三十二)録音

 入所当初は何がタブーかもわからなかったから、僕は無茶なことをして皆を驚かせた。そんなジェイルの手紙のやりとりでこんなエピソードがある。
 当初僕は英語の授業を率先して受けていて、その際に先生が僕1人で宿題ができるようにと、ポータブル・カセット・デッキを貸してくれた。それはそれは古い、昭和の匂いがする代物だった。しかしそのデッキはテープの再生はできるが、残念ながら警備上録音機能が意図的に使用できなくしてあった。
 僕は1人で房に戻り、そのカセット・デッキをどうにか分解できないか考えた。デッキの四つ角のねじを爪切りの先の部分を使ってこじ開け、なかで切断されていたマイクと録音機能の線をなんとかつなぎ合わせるのに成功した。そうすると意外と簡単に再び録音ができるようになった。
 録音するためのカセット・テープは、先生の声が入った発音練習用のものだ。それしかない。僕はテープのダビング防止の爪が折られていた部分に絆創膏を貼って、難なく再録音可能な状態にした。そして、さっそく独房でジェイル初のレコーディングを始めたのだ。まわりの囚人に迷惑をかけながらも、夜中までギターを弾きながらラップを吹き込んだ。
 そのような方法で曲をずいぶんと書き上げた。アルバム一枚分以上は作ったと思う。そして今度はそれをどうにかして日本にいる僕の仲間に聴かせたいという衝動にかられた。そこで思いついたのが、テープのプラスチックのカバーを外して、裸のテープ・リールだけの状態にし、それを封筒に忍ばせて一か八か日本に送ってみることだった。
 これが看守たちにばれたら僕は一巻の終わりで、懲罰だけでは済まない。それが届くまでの間、僕は冷や汗もので、行きた心地がしなかった。しかしなんと一週間後に、僕が送ったその封筒が友人のもとへ無事に届き、彼はそのテープをすぐに聴けるよう修復してくれて、いろんなところでそのテープ・アルバムを聴いてももらえたらしい。

 また外の世界との連絡は、手紙だけでなく、ジェイルの各所に備えつけられた電話でも行うことができた。僕は初め、ここの電話の使い方さえ知らなかった。カードやコインを入れる場所はなく、これが本当に外につながる電話だと気づくのに少し時間がかかった。そんなシステムがあるなんて驚きだったし、時間内であれば外と同じように誰かと連絡がとれるということに、幾分気持ちが明るくなった。
 しかし通話料金はべらぼうに高かった。初めの1年間は、ジェイル自体が「テレストラ」という会社(当時国内回線を総括していて、国内通話は安いが、海外通話だと非常に高くなる電話会社)と契約していたが、日本にかけると10分間で25ドルもかかり、それほど頻繁に電話ができなかった。
 その後、受刑者の多くを占める移民系の人たちが、海外へ電話をかける頻度が高いということで、「オプタス」という衛星回線を持ち、海外通話に強い会社と契約を切り替えた。
 その代わり国内通話が以前は1分30セントだったが2ドルくらいに跳ね上がって、地元出身の受刑者は文句を言っていたが、20ドル以上もあった国内と海外の料金差がなくなったことは大きく、そんな苦情はあっという間に消え去った。
 それにより、日本にかけるのも10分間2ドル20セントと、以前の10分の1になり、僕は頻繁に日本へ電話をかけられるようになった。
 ジェイルの電話システムはこうだ。電話番号のリスト用紙に6名までの番号(固定、携帯を問わず)と、自分の暗証番号4桁を記入し、看守のいるオフィスへ提出する。さらに週に一度、電話クレジット用紙というものに、希望の入金額を書き込み、次の日には希望した金額が電話にチャージされているという仕組みだ。
 電話をかけるときには、受話器をとって自分の6桁の囚人番号を打ち、続いて登録した4桁の暗証番号を打てば、現在の登録クレジット残高がいくらかを自動音声が教えてくれる。そして登録した1〜6番までの番号を押してつながるまで待つ。相手が受話器をとると、今度は相手側に英語の自動音声により「こちらはリスゴウ刑務所です。よってこのあとの会話はすべて録音されていますのであしからず云々」という警告が伝えられる。そのあと、僕と相手は通話ができるのだ。

 そしてこの電話は僕にとって、尽きかけていたラッパー生命をもつないでくれた。事の始まりは、ある日友達のプロデューサーのペロと電話で話していたときだった。僕は何気にずっと考えていた思いを彼に投げかけてみた。
 このジェイルの電話は1回につき10分間で、もちろん盗聴されている。でも盗聴されているのは、会話中に犯罪や脱出計画をしている者を取り締まるためで、僕が歌を書いてそれを通話相手に歌ったところで罰を受けるようなものではない。もし看守に何か聞かれたら、「僕が何をしたっていうんだ? ただ大声でしゃべっていただけだ!」と言えばいい。
 電話だろうがラップだろうが、歌だろうが、しゃべる声を向こう側(日本側)でどうにか録音できれば、それはそれで興味深いレコーディングになると思った。しかもそれは本番一発録りが要求され、緊張感も半端ないものだし、予期せぬハプニングやまわりの雑音も含めて面白いものが記録されるだろう。
 すぐにラップの詩を書いた。僕にできるのはラップだけだった。もちろん録音した声が留守電みたいな声になることは免れない。それでもあとになって日本で差し替えるであろう新しいビートにだけはしっかりシンクロしていなければと思い、前もってラジオからテープに落としておいた既存のビートをウォークマンで聴きとりながら、ビートとテンポに合わせてラップした。
 僕はありったけの言葉とメッセージを吐き出した。「消えちまったドープ(イカしたヤツ)」という意味と、「サツに奪われて消えちまったドープ(麻薬)」という2つの意味を込めて吹き込んだ最初の曲は「LOST DOPE」と題した。コーラスもサビもないシンプルなビートと言葉だけのそんな曲が、当時日本のアンダーグラウンドでは結構話題になったりした。今でも僕はステージで必ずと言っていいほどこの曲を歌っている。
 このほかにもジェイルの電話を使って数曲録音をした。しかし困ったことに、イヤフォンをしてジェイルの電話口でラップをしていると、さすがにまわりの受刑者たちが野次馬のように寄ってきて冷やかすのだ。「お前は何をやっているのか?」「お前誰かと喧嘩しているのか?」「ヘイッ、ジャパニーズ・ラッパー、いいからこっちきて歌ってみろ!」など……。
 僕は命がけでラップしているので、そのようなまわりの声にも構わないでやっていたが、いかんせんまわりの騒音が入ってしまい、良い状態で曲が録れることは少なかった。

B.I.G JOE 『監獄ラッパー B.I.G JOE 監獄から作品を発表し続けた、日本人ラッパー6年間の記録』 株式会社リットーミュージック 二〇一一年八月二五日発行 一〇二〜一〇八頁