風流土地台帳

(その六)書斎

その細長い書斎をさして、開高健は鳥小屋と呼んだ。自宅と隣家とのすきまの狭い露地に柱を建て並べ、その上に鳥の巣をかけわたすようにして造られていたからである。同じような理由から書斎の主は鳩小屋と称していた。外構えはたしかに鳥小屋ふうだが、しか…

(その五)オムスクの公衆浴場

町じゅうに公衆浴場は二軒しかなかった。一軒は、あるユダヤ人の経営で、個室に仕切られていて、一つの個室が五十コペイカの貸切りで、上流階級の人々の専用のようになっていた。もう一軒が主として民衆の浴場で、古くて、きたなくて、せまくて、わたしたち…

(その五)巴里の十五區と十四區

私は十五區と十四區の間に住んでゐたので十五區と十四區のホトンドの町では畫架を立てた事があります。よい畫は少ないが随分澤山かきました。朝出る時はオックウですが出てしまへば無中になれました。 巴里の古い家が面白いと思ひました、コトに煙突とビラが…

(その四)パリ十四区

建築に注目するのではなく、人間に注目したもっと別の地誌を描いてみれば、もっとも静かな街区、あの辺鄙な十四区がその真の光のもとに浮かび上がってこよう。少なくともすでにジュール・ジャナン〔十九世紀仏の作家〕は、一〇〇年前にそう考えていた。この…

(その三) ストーリー・ヴィル

「盛り場の王」トム・アンダーソンはランパートとフランクリンの間に住んでいた。彼は毎年、ニューオリーンズの売春婦をひとりのこらずリストアップした青表紙を出版していた。これは町の盛り場へのガイドブックで、カスタムハウス一二〇〇番のマーサ・アリ…

(その二) 長崎丸山

長崎丸山には揚屋がなく、唐人、紅毛人が立ち寄る出島があった。遊女は、第二次世界大戦後の横浜で白パン黒パンと言われたように、外国人の肌の色によって、それぞれに相手をする専門を分けていた。とりわけ唐人の相手を務めることは、覚悟のいることだった…

(その一) 浅草

浅草ほど、芸人が野垂れ死にするのがカッコいい土地はない。 北野武 『全思考』(2007 幻冬舎)