(その四)パリ十四区

建築に注目するのではなく、人間に注目したもっと別の地誌を描いてみれば、もっとも静かな街区、あの辺鄙な十四区がその真の光のもとに浮かび上がってこよう。少なくともすでにジュール・ジャナン〔十九世紀仏の作家〕は、一〇〇年前にそう考えていた。この街区に生れ落ちた者は、かつてそこを離れたことがなくても、もっとも波瀾に富んだ大胆な生活を送ることができたのだ。それというのも、そこには民衆の悲惨、プロレタリアートの窮乏を示すありとあらゆる建物が次から次へとぎっしり隙間なく列をなして並んでいるからである。産院、捨て子養育所、救貧院があるかと思えば、パリの大監獄であるあの有名なラ・サンテ監獄や断頭台がある、といった具合。夜ともなれば、男たちが物陰の狭いベンチ――それは、小公園の座り心地の良いベンチとは似ても似つかないものだが――の上で、このひどい人生旅行の途中駅の待合室にいるかのように、眠るために寝そべるのが見受けられる。        [C2,3]
        ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論』今村仁司三島憲一他訳、岩波書店、一九九三年九月二十八日発行 168頁