(その四十)日常のいざこざ

 日常の出来事、それに堪えることが、日常のいざこざ。Aは、Hに住むBと、ある要件について契約をむすぶことになる。そこで、前もって打合わせておくために、Hへ出かける。往復それぞれ十分間で、そうそうに戻ってくると、この猛スピード振りを自慢する。翌日、彼はふたたびHへ出かける。今度は、最終的に契約を結ぶためである。その手続きに数時間かかるだろうと予想されるので、Aは、早朝に出発する。付帯事情はすべて、すくなくともAの見解によると、前日とまったく同じであるにもかかわらず、今度は、Hに行くだけで十時間もかかってしまう。夕方、疲れきってそこに到着したAは、こう聞かされる。Bは、Aがいつまでたっても現われないことに腹を立てて、三十分前に、Aの住んでいる村へ出かけた。二人はかならず途中で出会ったはずだ、と。Aは、待っていてはどうかとすすめられるが、懸案のことが気がかりで、即刻出発し、家路をいそぐ。
 今度は、おなじ道のりを、とくにそう心掛けたわけではないのに、ほんの一瞬のうちに帰ってくる。家に戻ったAは、こう聞かされる。Bはすでに朝のうちに――Aが出かけた直後にやって来た。そしてBが言うには、いま門のところでAに出会って、例の件のことを催促したところ、Aは、いまは暇がない、これから急いで出かけねばならない、と言ったのだと。
 さらに話を聞いてみると、Bは、Aのこの不可解な振舞いにもかかわらず、ここに留って、Aが帰ってくるのを待とうとした。そして、Aが帰ったかどうかもう幾度尋ねたかしれないが、それでもまだともかく上のAの部屋にいる、という。Aは、諦めかかっていたのにやっとBに会え、事情を洗いざらい説明できそうなので、すっかり嬉しくなり階段を駈けあがる。そして、もうほとんど上りきったところで、つまずき、捻挫してしまう。苦痛のあまりほとんど気を失い、悲鳴さえあげられず、闇のなかでただ呻くばかりだ。その彼に聞こえるのは、Bが――ずっと遠くなのか、すぐ傍なのかはっきりしない――立腹して荒あらしく階段を降り、これを最後に消えていく、その足音のみである。

    フランツ・カフカ「八つ折り判ノート・八冊 第三冊目」(『決定版カフカ全集第三巻』所収)飛鷹節訳 新潮社 一九九二年一〇月一〇日発行  五七〜五八頁