(その百二十九)マックス・マザッパ

 僕がお年寄りの乗客に、デッキチェアをたった二つの動作で折りたたむ技を教えていると、マザッパさんがこっそりとそばにやって来る。腕をからませ、僕をひっぱっていく。「ナチェズからモビールへ」と説教調で。「メンフィスからセントジョーへ……」僕の戸惑いを見て、ちょっと口をつぐむ。
 こんなふうに唐突な現れ方をするから、いつも不意をつかれてしまう。プールの端まで泳いだところで、いきなり腕をつかまれる。濡れた腕が滑るのをものともせず、僕を壁ぎわに立たせ、自分はその場にしゃがみこむ。「いいか、不思議くん。女どもは甘い言葉で誘い、色目を使ってくる……僕はいろいろ知ってるから、おまえを守ってやってるんだ」でも、一一歳の僕には、守られているなんて思えない。何も起こらないうちから、キズつけられたような気がする。もっとどぎつくて黙示録めいているのは、僕たち三人がそろっているときに話す内容だ。「こないだツアーから帰ったら、俺の馬小屋でどこぞのラバがはねてやがった……この意味わかるだろ?」三人ともさっぱりわからない。説明してもらってやっと納得する。でも、たいていは、彼が話しかけるのは僕だけだ。まるで僕が本当に“不思議くん”で、たやすく心を動かせる相手みたいに。まあ、その点では当っているかもしれない。
 マックス・マザッパはいつも正午に起きて、〈デリラ・バー〉で遅い朝食をとる。「ワン・アンド・ファラオとナッシュソーダをくれ」と注文し、カクテルのチェリーをかみながら料理が出てくるのを待つ。食事を終えると、コーヒーのカップを持って舞踏場へ移動し、ピアノの高音部にそれを置く。そして、和音を弾いて気分を盛り上げながら、そばにいる人間をつかまえて、この世の重大事や複雑なあれこれについて語り、教訓をたれる。日によっては、いつ帽子をかぶるべきだったり、タンゴのつづりについてだったりする。「まったく無茶な言葉だよ、英語ってやつは。あり得ない! たとえば、“EGYPT”。こいつが厄介だ。絶対にまちがえずにつづる方法を教えてやろう。このフレーズをこっそり繰り返せばいい。『Ever Grasping Your Precious Tits』ってな」確かに、僕はそのフレーズを決して忘れなかった。こうしてこれを書いていても、心のなかで単語の頭を大文字にしながら、いまだになんとなく恥ずかしい。
 だが、一番多いのは、音楽の知識を疲労することだった。四分の三拍子がいかに精緻なものであるか説明したり、色っぽいソプラノ歌手から舞台裏の階段で教わったという歌を思い返したり。だから僕たちは、彼が情熱的な半生を送ってきたのだと思いこんだ。「汽車に乗って旅に出て、君のことを考えた」と彼がつぶやくと、悲しみにやつれた心の声を聞いている気がした。でも、今になって思えば、マックス・マザッパが好きだったのは、音楽の構造とメロディーの一つ一つだったのだ。だって、彼の十字架の道行きが、すべて実らぬ恋と関わっていたわけではないのだから。
 マザッパさんはどこのものともわからぬ訛りで、自分の半分はシチリアの血、もう半分は別の血だと語った。ヨーロッパで働き、アメリカ大陸を少し旅したのち、いつしか熱帯地方にたどりつき、港の酒場の上で暮らすようになったそうだ。彼は僕たちに、「香港ブルース」のコーラスを教えてくれた。あまりにたくさんの歌と暮らしが身についているので、真実と作り事が混ざりあって、とても見分けがつかなかった。無知まる出しの僕たち三人をかつぐのなんて、ちょろいものだった。さらに、海の陽光が舞踏室の床にちらちらと射すある午後、マザッパさんがピアノの鍵盤をたたきながら口ずさんだ歌のなかには、僕たちの知らない言葉があった。
 悪女。子宮。
 相手は思春期にさしかかっている少年たちだから、自分がどれだけの影響を与えるか、彼には分かっていたのだろう。その一方で、彼はこの若き聴衆に対して、音楽における名誉についても語って聞かせた。もっとも賞讃する人物はシドニー・ベシェ。パリのステージで演奏していたとき、音をはずしたと責められて、相手に決闘をいどみ、けんか騒ぎを起こして通行人を傷つけ、投獄されて国外追放になった。「偉大なるベジェ――バッシュ――そんなふうに呼ばれていたよ」マザッパさんは語った。「おまえら、この先ずっとずっと長く生きなきゃ、そんなふうに新年をつらぬく場面に出くわすことはないだろうな」
 マザッパさんの歌とため息と語りが描きだす、国境を越えた壮大な愛のドラマに、僕たちは目を丸くし、強い衝撃を受けた。彼の仕事がどん詰まりになったのは、誰かにだまされたか、あるいは女性を愛しすぎたせいではないかという気がした。

   月がめぐり、空の月は形を変える
   そう、月がめぐり、空の月は形を変える
   そして悪女の子宮からは血が流れる

 ある午後、マザッパさんが歌った詩には、浮世離れした、決して忘れられない何かがあった。言葉の意味は問題ではない。一度聞いただけなのに、揺るがぬ真実のように心のなかに潜みつづけ、それ以来ずっと逃れられなくなるほど率直だった。その歌詞(ジェリー・ロール・モートンのものだと後に知った)は正真正銘、水も漏らさない完璧さだった。でも、当時の僕たちは、あまりの露骨さに戸惑って気づかなかったのだ――あの最終行の言葉の、思いがけなくも運命的な韻が、冒頭の繰り返しに続いて実に効率よく現れていることに。やがて僕たちは、舞踏室にいる彼のところから散っていった。ふと、はしごの上で晩の舞踏会の準備をしている旅客係を意識したからだ。色つき電球にクレープ紙のアーチをかけて、部屋を十字に飾っている。大きな白いテーブルクロスをパッと広げ、木のテーブルにかぶせる。各テーブルの真ん中に花瓶を置き、がらんとした部屋をロマンチックであか抜けた場所に変えている。マザッパさんは僕たちと一緒に出てこなかった。ピアノの前に座ったまま、まわりで行われている小細工にかまわず、鍵盤を見つめていた。その夜、オーケストラとともに何を演奏するにしても、たった今引いてくれたものとは別物になると、僕たちはわかっていた。

                 ***

 マックス・マザッパの芸名――本人いわく“リングネーム”――は、サニー・メドウズだった。フランスで演奏したときの宣伝ポスターで間違われ、以来その名を使うようになった。おそらくプロモーターが、彼の名前のアラブ色を避けたがったのではないか。オロンセイ号で、ピアノ教室の告知をする掲示にも、「ピアノの名手、サニー・メドウズ」と記されていた。だが、〈キャッツ・テーブル〉の僕たちにとって、彼はあくまでもマザッパだった。“太陽さん”とか、“牧草地”といった言葉は、およそ彼の性質にそぐわなかったからだ。楽天的なところや、よく刈りこまれたところなどはなかった。それでも、音楽に対する彼の情熱は、僕たちのテーブルに活気をもたらしてくれた。昼食のあいだ中、“ル・グラン・ベシェ”の決闘の話で楽しませてくれたこともある。一九二八年、パリの朝早く、その決闘はしまいには銃撃戦めいたものになった――ベシェがマッケンドリックに向かってピストルを撃つと、銃弾は相手のボルサリーノ帽をかすってから、出勤途中のフランス女性の太ももにおさまった。マザッパさんはその様子をすべて身ぶり手ぶりで語った。塩入れと胡椒入れろチーズを一切れ使って、銃弾のたどった道筋を表してみせた。
 ある午後には、僕を船室に招いて、レコードを聞かせてくれた。マザッパさんによると、ベシェはアルバート式のクラリネットを使っていたそうだ。どっしりして豪華な音がでる楽器だという。「どっしりして豪華」と彼は何度も繰り返した。SP盤のレコードをかけ、曲に合わせて小声で歌いながら、あり得ないような高音や、かっこいいフレーズを指摘してみせた。「ほら、彼は音を絞り出すんだ」僕はわけがわからないながらも、畏敬の念を抱いていた。ベシェがメロディーを繰り返すたび、マザッパさんは僕に合図した。「太陽が森の地面に射すみたいだ」と行っていたのを覚えている。つやつやしたスーツケースの中を手探りして、ノートを一冊取り出し、ベシェが教え子に言った言葉を読みあげた。「今日は音を一つ指定する」ベシェは告げた。「その音を吹くのにいくつやり方があるか見てみよう――うなってもよし、かすれてもよし、半音下げてもよし、上げてもよし。何でも好きなようにやってみろ。話をするみたいなもんさ」
 マザッパさんは犬の話をしてくれた。「ベシェと一緒によくステージに上がって、ご主人の演奏中にうなり声を出していた……ベシェがデューク・エリントンと縁を切ったのは、それが原因だったんだ。デュークは犬のグーラがステージ上でライトを浴びて、自分の白いスーツより目立つのが許せなかったのさ」。そして、グーラのせいで、ベシェはエリントンのバンドを去り、〈サザン・テイラー・ショップ〉を開いた。そこは楽器の修理やクリーニングをするほかに、ミュージシャンのたまり場にもなった。「彼が再考の録音を残したのはその時期だ――『ブラック・スティック』とか『スウィーティー・ディア』とかな。いつかおまえもそういったレコードを片っ端から買わずにはいられなくなるよ」
 それから、女性関係について。「まあ、ベシェは懲りないやつだった。結局いつも同じ女のところへ戻るんだ……いろんな女たちが彼を手なずけようとした。でもな、一六のときから巡業に出て、あらゆる土地のあらゆるタイプの女をもう知り尽くしていたんだ」あらゆる土地のあらゆるタイプ! ナチェズからモビールまで……。
 僕は耳をかたむけ、わからないままにうなづいていた。一方マザッパさんは、まるでそこに生き方と演奏技術の手本が隠されているとでもいうふうに、聖人の楕円形の肖像画を抱きしめた。

              (中略)

 マザッパさんもまた、ポートサイドで去っていった。タラップがたたまれて片づけられても、僕は彼が戻ってくるのを待っていた。ミス・ラスケティも僕たちのそばにいたが、出航の鐘が響きはじめ、かたくなな子どものようにしつこく鳴るうちに、そっとその場を離れてしまった。それからタラップそのものが埠頭から移動されていった。
 最近やっとわかったのだが、マザッパさんとミス・ラスケティは、当分ずいぶん若かった。彼が船から消えたあのとき、ふたりとも三十代だったに違いない。マックス・マザッパはアデンの港を出る頃までは、〈キャッツ・テーブル〉の誰よりも元気に満ちあふれていた。ぶしつけなほどの屈託のなさでみんなをまとめ、にぎやかな食卓にすることにこだわった。怪しげな話をささやくときでさえ、あけっぴろげだった。おとなにも喜びがあるのだと教えてくれた。でも、僕にはわかっていた。未来はそんなに劇的で楽しくいんちきなものではない。彼がカシウスとラマディンと僕のために語ったり歌ったりしてくれたようなものではないのだと。彼はとにかく豪快で、女性の魅力も欠点も知り尽くし、すばらしいピアノのラグタイムやトーチソング、違法好意や裏切りにもくわしかった。完璧な演奏をしたいという名誉を守るために発砲した音楽家がいることも、シドニー・ベシェのジャズナンバーの短い空白にダンスフロアじゅうから「オニオンズ!」と声が上がることも話してくれた。そして、男は「Ever Grasping Your Precious Tits」ということも。彼が僕たちのために作ってくれたジオラマには、なんという人生が描かれていたことか。
 だから、いつの間にか彼の心を侵したものが何なのか、僕たちには見当もつかなかった。偉大なるベシェの弟子に、どす黒い闇が入りこんだようだった。僕はマザッパさんの何を理解していなかったのだろう。ミス・ラスケティとのあいだで育まれていた友情に、ちゃんと気づいていなかったのか。タービン室の集まりで、僕たちは大恋愛の物語をでっち上げた――ふたりが食事の合間に礼儀正しく席を立ち、たばこを吸いに甲板へ出て行く様子。外はまだ明るく、木の手すりにもたれるふたりの姿が見える。世の中についてお互いが知るあれこれを語りあっていたのだろう。彼女の裸の肩に、彼が上着をかけてあげたこともある。「インテリ女かと思ったよ、最初はな」と彼女について言っていたっけ。
 マザッパさんがオロンセイ号を降りてから一日か二日、あらためて彼のことがさまざまに取り沙汰された。たとえば、なぜわざわざ二つも名前が必要なのか? それに、子どもがいることもまた話題になった。(うちのテーブルの誰かが、「授乳について話していた」と言いだした。)それで僕は、その子たちも僕たちが聞いたのと同じ冗談うあ忠告をもう聞かされていただろうかと考えた。また、こんな意見もあった。おそらく彼は、ここからあそこまで行くというような、自由の身でいるあいだに限って、陽気でいられるタイプの人間なのではないか。「もしかしたら、何度も結婚してるのかも」ミス・ラスケティが静かに口をはさんだ。「彼が死んだら、未亡人が同時に何人も生まれるんじゃないかしら」。そこ言葉のあと、みんなは黙りこんで、彼女もプロポーズされたのだろうかと想像を巡らした。
 僕は、ミス・ラスケティがマザッパさんの下船で打ちひしがれ、青ざめた顔をしてテーブルに現れるものとばかり思っていた。ところが、旅が続くうちに、彼女は仲間うちでいちばん不思議で、驚くべき存在になっていく。彼女の発言には茶目っ気たっぷりのユーモアが感じられた。僕たちのそばに来て、マザッパさんがいなくなったことを慰めてくれ、自分も寂しいと言った。その「も」という言葉がまるで宝物に思えた。いなくなった友の神話が続くことを僕たちが求めていると察した彼女は、ある午後、マザッパさんの声音をまねて、こんな話をした。俺の最初の結婚は、まさに裏切りで終わった。いきなり家に帰ったら、女房があるミュージシャンと一緒にいたんだ。そして彼はミス・ラスケティにこう打ち明けた。「もし銃を持ってたら、そいつの心臓に一発お見舞いしていたところだ。だが、部屋にあったのは、やつのウクレレだけだった」彼女はこの逸話に吹き出したが、僕たちは笑わなかった。
「彼のシチリア人らしい態度がとても好きだったわ」彼女は続けた。「たばこに火をつけてくれたときもそう。腕をいっぱいに伸ばすの、まるで導火線に点火するときみたいにね。肉食動物みたいに思われがちだけど、線の細い人なのよ。言葉の選び方や口調が堂々としているだけ。わたし、仮面やペルソナについてはよく知ってるの。専門家だからね。彼は見かけより優しい人だった」こうした話を聞くと、やっぱりふたりのあいだには熱い気持ちが通っていたのではないかと思われた。彼について話す彼女の口ぶりからして、互いに心の友であることは確かだった。「未亡人が同時に何人も」というせりふとは裏腹に、というよりも、だからこそよけいに、もしかしたら、船の電報を使って連絡を取りつづけるかもしれないので、無線通信士のトルロイさんに聞いてみようと思った。だいいち、ポートサイドからロンドンまでは、それほど遠くない。
 やがてマザッパさんの話はふっつり途絶えた。ミス・ラスケティでさえ話題にしなくなった。彼女は自分の殻に閉じこもってしまった。午後はたいていBデッキの日陰で、デッキチェアにいる姿が見られた。いつも決まって『魔の山』を持っているのに、読んでいるところは誰も見たことがなかった。よく犯罪スリラーのページをひらいていたが、どれも期待はずれのようだった。彼女にとって、この世はどんな本のストーリーより思いがけないものだったのではないだろうか。彼女が、読んでいた推理小説にひどく苛立って、日陰の椅子から腰を浮かし、そのペーパーバックを手すりの向こうの海へ投げ込むところを、二度ほど見かけたことがある。


マイケル・オンダーチェ『名もなき人たちのテーブル』田栗美奈子訳 作品社 二〇一三年八月二七日発行 三二〜三八、一八六〜一八九頁
THE CAT'S TABLE Ondaatje , Michael