(その百二十七)アフタリアン

 その男というのは小柄なルーマニア人で、パリにきたころには、カフエで、とくにラ・ロトンドで、モデル女や物好きな女たちや、レジスターの女たちに絹のストッキングを売っていた。彼はまず、この世に画家というものがいることに驚き、つぎに、絵が売り物になっていることに驚いたのだった。彼は絵を買った。そして、五、六スウの金を儲けた。それで、ストッキングを売る方の仕事をやめた。裏口の階段を昇って、事務所にストッキングを売って歩く代りに、金持の立派な界隈の立派なエレベーターに乗って、絵を売り込んだ。
 最初、人々は彼にほどこしものをするよりは面倒ではないので、絵を買っていたが、のちには投機心から買うようになった。
 アフタリアンは脂じみた髪の上に、安値で買った山高帽をかぶり、よごれたワイシャツに、裏がみえる紐のようになったネクタイをつけていた。そして、彼を迎える家に行っては、画家たちの悪口を言い、ぞんざいな口調で、こう言うのだった。
「絵かきなんて、われわれとおなじ社会の人間じゃないですよ……」
 彼の話し相手になる者は、この脂じみて汚れた愚鈍な男が語るウェルギリウスふうの感情とか、森のリズムとか、肉体の優しさとか、某画家の肉感性と別の画家の感受性の差異とか、また光の精神だの、色彩の官能だの、あちこちで彼が聞きかじった絵かきたちの隠語をひとつ残らず聞かねばならなかった。
 直感的な心理学者だった彼は、もし美術愛好家が近代絵画のいちばんつまらないものにでも興味をもったが最後、その人間は病みつきになり、とりつかれ、不治の病や黴毒におかされたようになることを、早くも悟っていたのだった。近代絵画はまるでコカインのようなものだ。そのひとつまみでも味わうと、もはややめることができなくなってしまうのである。今まで、ギヨマンをあまりにも急進的だと思っていた愛好家も、もうそれを片隅に追いやって、こんどはこれ異常堕落したものはないようなロシア人たちの絵を買うのだった。前日の絵は次の日に買った絵の前ではもう色あせるのだった。
 それに、アフタリアンは《近代絵画》をじつにうまく説明することを心得ていた!
(中略)
 現在では、彼は店をかまえていたが――まさしく矛盾する話だが――彼自身、巧みな自分の言葉に囚われて、どうしても手放すことができなくなってしまった絵を、彼と妻と五人の子供のためにゴブランに昔から持っている小さなアパルトマンに、山と積み上げていた。彼は絵は投機だからと言って、妻を安心させていたが、本当のところは、それらの絵のすぐれた色彩が彼の眼をとても楽しませているのだった。それはちょうど、彼が靴下の行商人をしていた当時、見本品の快い手ざわりが彼を幸福感にひたして、それをしばしばポケットのなかにしまいこんでしまったのと同じだった。
 もちろん、彼は売ることよりは買うことの方をずっとよく心得ていた。ある絵かきが苦境におちいる日を待つことを彼は知っていた。またほかの絵かきにはその全作品に対して、わずかな月々の手当を保証したりした。珍しい掘り出しものを捜し出し、ときどきはひどい見当はずれをしたりしたが、そんなときは、大切にしていたものを突如として手放し、また別なものを手にいれるのだった。彼の言い草にもかかわらず、キュビストの大部分の連中、とくに彼の仲間うちの連中は大成しないだろうと、漠然と感じていたので、《もう少し肩のこらない、ああしたキュビズムの馬鹿どもの連中のまっただなかに爆弾のように投げこんでやれる》絵を描く人間を辛抱づよく待っているのだった。
 だから、モジリアニとズボロフスキーが店にはいってくるのを見たとき、この年老いた画商の心ははずんだ。


M・ジョルジュ=ミシェル『モンパルナスの灯(モジリアニ物語)』山崎剛太郎訳 講談社講談社文庫版)昭和五四年九月一五日発行 四八〜五四頁