(その五十二)演武

 二〇〇七年の四月、私は本当に驚くべき動きを直に目にすることが出来ました。それは新潟で行われた韓氏意拳の講習会の後の懇親会の時でした。伝説の名人、意拳創始者王郷齋の門下で、唯一意拳の術理を体現した拳舞を舞うことを許された韓星橋老師に後継者として認められた、星橋老師の四男である韓競辰老師は、私が少し演武をした後、フワッと立ち上がると、
「もし、上手くいかなかったらお酒のせいだと思って下さい」
 と通訳を通して笑いながら断られると、緩やかな、舞うような動きをされ始められました。ところが次の瞬間、私は韓辰老師の姿を見失ってしまったのです。今まで見事な演武を観て驚いた事は何度かありますが、あれほど驚嘆したことはありません。何しろ約四メートル離れたところから、十分な関心と注意をもって見ていたにもかかわらず、まるでテレビを見ていたらアンテナからのフィーダー線が外れて、画面がいわゆる砂嵐状態というのでしょうか、ザーッとした無数の線や点が錯綜したような状態になってしまったように見えたからです。というか、一瞬韓辰老師が�自爆�によって肉体が辺り一面に飛び散ったようにも感じられたのか、思わず首をすくめたような記憶も残っています。
「驚いた」などという程度の表現では表しきれないほど驚きました。そして次の瞬間、驚きは驚嘆となったのです。なんと韓辰老師はその�自爆現場�から二メートルほど離れたところに前がかりの姿勢で忽然と出現していたからです。相手が自分に向かって来る時に、相手の動きに幻惑され、相手を見失うという事は、ままある事です。これは向かって来る相手に何とか対応しないと自分が直接被害を受けるという当事者の場合、どうしても相手の動きの発動に気をとられ、自分の動きでは対応できないと思うと、よく相手を観ていても見失うことが起こるからです。
 しかし、十分な安全が確保された客観的な立場で四メートルほど離れたところから、ひとかたならぬ関心と十分な注意をもって見ていて、大の大人の肉体まるごとを見失うという事は�絶対に�という形容がつくほど有り得ないことです。
 僅かに触れただけで大男がフッ飛んだ、というような武術の技は、いままでにも何度も目にしてきましたが、そのほとんどはフッ飛んだ相手が一種の暗示にかかっていたという事がありますから、そうした場合は驚くよりもシラケてくるほうが多いものですが、目の前で体全体が砂嵐状態になるほどの動きをされてしまうと、もう言葉も出ません。
 あまりの事に私は韓辰老師の素晴らしい動きを見た直後は大感激して興奮していたのですが、あまりにも常識外の動きを見たためか、その後興奮が収まってからは次第に気持ちが落ち込んできた事を覚えています。そして、その時、やはり武術は武術としての修練を重ねていかなければ決して得られない世界を持っており、その「術と呼べるほどの世界」に入るには、一般にスポーツ等で勧められている練習や稽古をどれほど熱心に行っても不可能であるという事だけは確信したのでした。
 この二〇〇七年の四月に初めて目にした神技とも言える動きは、その後さまざまな検討を加えて考えているうち、身体のより多くの部位が同時並列的に動いたため、目がそれらを統合して追う事が出来ずに見失ったのだろうという結論に達しました。これはスフィアという、折り畳まれているとソフトボール大で、一斉に開くとバレーボール大になる玩具の動きを観察しているうちに推論できた事ですが、それを身体を通して行うとなると、それがどれほど困難かは、その困難さの程度さえ想像できません。しかし、私としては、それが私の手に合いかねるほど困難であっても、原理については想像がつき、毛ほどとはいえ実現に向けての手がかりは得られたのですから、稽古を工夫して行くしかありません。


甲野善紀『武道から武術へ―失われた「術」を求めて』学研パブリッシング 二〇一一年六月発行 一二七〜一三〇頁