(その百三十二)アルフレッド・ダグラス卿

 キチンの奥の狭いメイド部屋には移りたくなかったが、アルフレッド卿にも会いたい気持があった。一八九〇年代の典型のような人物で、若い頃には美男子で、無分別で、怒りっぽく、裏切り行為を働いたかどで刑務所にほうり込まれた、などの伝説以上には何も知らなかった。彼の詩を読んだことがあったが、真面目な批判に耐えるような代物ではなかった。しかし、自己顕示欲と虚偽に満ちていたと思われるオスカー・ワイルドとの外聞の悪い関係に興味を抱いたことはなかった。
 私は彼が圧倒的な魅力の持ち主だとは思っていなかった。想像していたより遥かに小柄で、若い頃の肖像に見る繊細に湾曲した鼻は怪物めいた鉤鼻に変わっていた。しかし、否定し難い温かみと、人を愛する気持が顔からいじみ出ていた。彼ほど人付き合いやマナーがよく、言葉や振る舞いに交換のもてる者はいない、と私は思った。人を喜ばせることがただ一つ彼の願いなのだという気がしはじめ、この能力はもって生れたもので、何の努力も伴わずに完成の域に達した結果、第二の天性となり、彼はそのなかに喜んで自分を投入したのだった。アルフレッド・ダグラス卿の役割を演じることを彼が大いに娯しんでいるので、見ている人はつい心を奪われてしまう。彼の技巧と描写力には三十分も同席していてさえ魅せられ続ける。そのときでさえ、もし彼が疲れれば、もう一つの更に魅力的かつ見破ることのできない仮面が現われるのである。
 現存する最も偉大なイギリスの詩人は自分だ、と彼がぬけぬけと確信していると知れば驚かざるをえない。どんな経緯でこうした結論に到達したかは彼自身の秘密である。それは恐らく、イノック・ソームズのように彼が模倣者の模倣者だったという事実を受け入れることは絶対に拒否させようとする、専制的な心の命令によって強制されたものに違いない。彼は自分の分野で第一人者だと固く信じて疑わず、プリンセスのように脚光を浴びることに情熱を燃やした。彼もまた子供の頃の重要な時期に父親の存在に圧倒され、圧し潰された経験が何度もあって、その後の人生を人目を引くことに費やしたのだった。しかし、彼の身に起こった唯一の重要なことがオスカー・ワイルドへの友情であり、爾来それを利用してきたことは明らかだった。無名の存在になることから彼を救えたのは純粋な肉体的欲望だったが、彼にはそれの持ち合わせがなかった、ということがやがてわかった。もともと彼を不毛なナルシシズムに追いやった個人的魅力は、結局世人が注目する唯一の機会をもとめて無慮三十年という時間をかけて退屈きわまる努力を払わせることになった。しかし、他に何ができただろうか。無能な人間の例に漏れず、彼はいつも受動的だった。彼は全てを取りたがるが、何も与えようとしない。利己的だからというより、非常に多くを必要としながらも常に巧みに利用してきた称号と美以外には何も与えることができなかったからだ。彼は信頼できない人物ではなかった、ただ弱かったのである。馬鹿ではなかったが、空っぽだったのだ。私は彼ほど高潔さに欠けた人間には会ったことがなかった。


ジョン・グラスコー『モンパルナスの思い出』工藤政司訳 法政大学出版局 二〇〇七年二月五日発行 二六七〜二七九頁