(その百三十)エセル・ムアヘッド

 デセンデ・ドゥ・ラルヴォットにあるエセル・ムアヘッドの家はイギリスのオールドミスにふさわしい住いだった。中にはチンツや真鍮製品や家族の肖像など、壁面二つに書棚がずらり並んで中に前衛的な書籍が詰まっていることを除けば、サセックス州のコテージを彷彿とさせた。美しい海に面して置かれた机には原稿や、絵や、ゲラ刷りが山と積まれ、一九一〇年前後に製造されたと思われるタイプライターもあった。
 彼女は背が高く、痩せて骨張った体つきで、踝までの長いスカートを穿き、シャツブラウスを着ていた。断髪にした艶のない茶色の髪が顔を縁取っているが、白粉を薄くはたいた頬にいまだに少女めいた輪郭の面影があった。彼女には信じられないほど内気なくせに測り知れないほど抜け目のないところがあった。絶えず頬を染めながらも凛として妥協を拒むのである。彼女の父はモーリシャス島の軍政知事だったとボブが言っていたことを思い出した。
 甘いベルモットが小さなグラスで出され、私たちは腰を下ろして喋った。彼女はおよそ想像もつかないほど「ジス・クオーター」誌の不屈の編集者らしくなかった。ほとんど口を利かず、相手の話に熱心に耳を傾けるおどおどした、いかにも乙女風のこの女性が、過去五年間にわたってほとんど全ての一流作家の最初の出版者として文学史をつくり、ヘミングウェイや、ケイ・ボイルや、ポール・ボウルズを見出し、ジョイスを擁護しパウンドを扱き下ろした、とはとうてい信じられなかった。彼女が私の読んだなかでも最初のがrくたを世に出したこともまた事実である。しかし、こうして彼女に会ってみると、あの雑誌に見られる不条理と光輝の比類のない混交は彼女の個性がもたらしたのではないか、という気がしてきた。彼女の目には猫のそれを思わせる神秘的な色があった。
 ボブから聞いて私の知るかぎり、「ジス・クオーター」は「ザ・ダイヤル」や、「ポエトリー」や、「トランジション」のように裕福な個人がはじめた雑誌ではない。エセル・ムアヘッドにはわずかばかりの資産しかなく、資金の大半は個人や匿名の寄付者――主として寄稿する作家――に依存していた。
 彼らがいい作家か前途有望に過ぎないかは問題ではなく、病気に罹っている、食うに困っている、あるいは失意のどん底にあえいでいる、というだけで十分だった。事実彼女は下手な作家により大きな共感と同情を覚えた。もし文学界の功労者として誰かを選ぶことにでもなれば、不可知論的な傾向があるとはいえ当然の候補としてエセル・ムアヘッドの名前を挙げたい。彼女の人柄の良さは明らかで、周りに光を放っているように思われた。


ジョン・グラスコー『モンパルナスの思い出』工藤政司訳 法政大学出版局 二〇〇七年二月五日発行