(その百二十五)黄アス弐等久大佐

 人に頼みごとなどなにひとつできない性格だったにもかかわらず、彼がその長すぎる人生のなかで、そのために不利な立場に置かれるようなことはなにひとつなかった。海軍時代においてもその後の公職追放時代においても、それは変わらなかった。ある種の命令系統が組織に所属する個人に与える不可避的な伝達経路の一環として、別の部署に頼みごとに行く機会が彼にも訪れることがあったものだが、必要な書類を小脇にドアの前に立った途端物乞いにでもなった気になったために、彼はそっと後ろ手にドアを閉め、人がいないのをいいことに判子を失敬したことすらあったが、懲罰房の湿った暗闇が彼にもたらしたのは決して後悔の念ではなかったし、彼の性格を知る上司はその件で彼の進路に不利な影響が起こらないよう訓戒のみで報告を済ましたものだった。彼の性格と彼を取り巻く環境は妥協の余地なく結びついていた。それは僥倖のように舞い落ちるものではなかったが、その継続性において彼を彼の人生から庇護していた。庇護しすぎたと言っていいくらいだ。男はその独立不羇な態度によって、彼を帰属させるあらゆる社会的な手つづきを個人的な事象にまで還元することに成功したが、その成功は社会的に見れば決して成功とは言いがたかった。だから、戦後になってあらゆる時代の変化の失望し、取り残され、自分を置き去りにする変化の潮流をほんとうには理解できないままに、彼の立場を不利にし、積み上げてきた一切の歴史を振り出しに戻すうねりの存在だけは実感せざるを得なかった彼には、どうやってこの状況を抜けだすかをひとり思案することしかできなかった。だから、その不可知論者とは言いがたい性格にも関わらず、彼は人の好意を当てにするようになった。人に頭を下げるでもなく、一〇分を一時間に、一日を一ヵ月に変える無為のなかで、ただ己の力の及ばぬものだけがたったひとつの人生の転機だとでもいうように、律儀にそのときを待った。いつしか彼の額には二本の皺が刻まれ、詰め襟の上でかしこまっていた彼の顎はたるんで威厳を失っていた。それでも彼は待ちつづけた。そんなときだけ素晴らしいひらめきが生まれたからだ。今おれを悩ませている問題は、明日にでもすべて解決しているだろう。いや、明日といわずとも、少なくとも一ヵ月後には。もう長いことかれこれ待ちつづけたんだから、これ以上遅れるわけにはいかない。この待機の時間は報われる。そうに決まっているのだ。