(その百二十六)アリス・プラン

 有名なキキも客の一人だった。モンパルナスに来たばかりだった私は、彼女が界隈の女王的存在であるとは知らなかった。しかし、彼女の個性は人を引きつけ、声には独特の魅力があって、エクセントリックな美しい顔をしていた。メーキャップそのものからして芸術的で、眉毛はきれいに剃ってスペイン語のnのアクセントみたいなデリケートな曲線に置き換えられていたし、睫毛の先には少なくとも茶匙一杯分のマスカラをつけている。そして深紅に塗りたくった口は茶目っけた輪郭にエロティックなユーモアを漂わせ、漆喰じみた頬の白を背景に燃え立っていた。頬には一か所、片方の目の下に非のうちどころのないほくろが書き入れていった。彼女の顔はどの角度から見ても美しかったが、私は真横から見た顔の輪郭が鮭の剥製を彷彿させていちばん好きだった。もの静かなしゃがれ声からは無害な猥褻さがしたたり落ちる。数少ない身振りには豊かな表情があった。最近脅迫のかどで告発されたジャーナリストに触れて彼女は、公衆トイレにでもほうり込んでやればいい、と容赦なく言い放った。「それから――絞首刑にするのよ」と呟いて膝をちょっと曲げ、鎖を下に引く仕草をして見せた。


ジョン・グラスコー『モンパルナスの思い出』工藤政司訳 法政大学出版局 二〇〇七年二月五日発行 二八〜二九頁