(その百二十二)リチャード・ユージーン・ヒコック

 ディック! 弁舌さわやかで、目から鼻へ抜けるような男。たしかに、それは認めざるをえまい。まったく、彼は信じられないくらい「人をペテンにかける」ことがうまかった。ディックが最初に「狙おう」と決めたミズーリ州の「キャンザス・シティー」という洋服屋の店員がいい例だ。ペリーのほうは、生れてこのかた、「偽小切手を通用させ」ようとしたことなどはない。それで、彼はびくびくしていたが、ディックはいった、「おまえはただ立っていてくれさえすればいいんだ。笑っちゃだめだぜ。それと、おれが何をいおうが驚くんじゃない。臨機応変にうまくやってくれなきゃこまるんだ」自分からいいだしたその仕事について、ディックは何ひとつそつがないように思われた。彼はさっさと中へはいっていくと、店員に向かって、ペリーを、「近く結婚することになっている友だち」だと快活に紹介し、さらにつづけた、「ぼくはこの男の第一の親友なんだ。彼が服を新調するというので、こうやってついてきたんだ。ええ、つまりだな、この男の――ええ――結婚衣裳だよ」店員は「それをうのみにした」。すぐさまペリーはデニムのズボンを脱がされて、その店員が「略式の結婚式にはうってつけでございます」とすすめた、地味な服を着てみることになった。客の奇妙な容姿――人並みより短い脚の上に乗っかった、人並みより大きな胴体――について触れたあとで、店員はいった、「どうもわたしどもには、手を入れないでそのままお召しねがえるような品がございませんでね」ああ、とディックはいった、それで結構だ、時間はたっぷりあるんだ――式は「来週のあした」なんだからね。それが終ると、こんどは――ディックの言葉によれば――フロリダの進行旅行にふさわしいと考えられる、幾組かのけばけばしいジャケットとスラックスを見立てた。「イーデン・ロックを知っているかね、きみ?」とディックは店員にきいた。「マイアミ・ビーチのホテルだがねあすこに予約を取ってあるんだ。花嫁の親戚からのプレゼントなんだよ――一日四十ドルで、二週間の予約だ。どうだね? 彼のように醜男でちびの男が、女にすっかりお膳立てさせた甘い生活でよろしくやっていこうというんだよ。ところが、きみやぼくみたいな、ハンサムな男たちは……」店員は勘定書を差し出した。ディックは尻のポケットに手を突っこみ、眉をしかめ、指をぱちっとならしていった、「こりゃいかん! 札入れを忘れてきたわい」ペリーにはそれがいかにも見えすいた手のように思われ、それじゃ「黒ん坊の赤ん坊をだます」ことさえとうていむりだと感じられた。だが、その店員はペリーのようには考えなかったらしく、ブランク・チェックを取り出してきた。ディックがそれで、請求金額より八十ドル多い小切手を作ると、店員はすぐさまその差額を現金で支払ってくれたのである。
 店を出ると、ディックはいった、「これでおまえは来週結婚することになったってわけだな? さてと、こんどは指輪が必要だよ」ディックのおんぼろシヴォレーで、二人はたちまち「最上の宝石類」という看板の店に乗りつけた。そこでダイヤモンドの婚約指輪とダイヤモンドの結婚腕輪を小切手で購入したあと、二人は質屋へ行って、その品物を処分した。ペリーはそれを手放すのが惜しいような気がした。彼はこの仮想の花嫁を半ば信じはじめていたのである――もっとも、彼の考える花嫁は、ディックの場合とは反対に、金持でもなければ、美人でもなかったのだが。そういうことより、ペリーの描いている相手は、身づくろいのきちんとした、言葉づかいのやさしい女であり、「カレッジ出」であると考えられるが、なによりも「非常に知的なタイプ」の女性でなければならなかった――彼はそういう女に会いたいといつも思っていながら、現実には一度もめぐり会ったことがなかったのだ。
 もっとも、クッキーを勘定に入れなければの話であるが。彼女はペリーがモーターサイクルの事故で入院したときに知り合った看護婦であった。クッキーはすばらしい娘で、彼に好意を抱き、彼に同情し、彼を大事にしてくれ、「純文学」――『風とともに去りぬ』や『わが最愛の愛人』など――を読むようにとすすめてくれた。二人の間に人目をしのぶ、ふしぎな性体験が重ねられ、愛の言葉がやりとりされ、結婚しようという話も出たが、結局は、怪我が治ったとき、ペリーはクッキーに別れを告げた。その弁明として、彼は次のような一編の詩を、自分で書いたような顔をして彼女に贈った――

  社会と調和しない男の種族、
   安住できない男の種族がいる。
  彼らは親類縁者の嘆きを尻目に、
   勝手気ままに世界を流れ歩く。
  彼らは野をさまよい、海をさすらい、
   山の頂に攀じのぼる。
  彼らの知は呪われたジプシーの血、
   彼らは休息を知らない。
  地道に進めば、成功するだろう、
   たくましく、勇敢で、誠実だから。
  だが、彼らはつねに現状に倦み、
   道の新しい世界を求めていく。

 ペリーはその後、彼女に二度と会っていない。また彼女から手紙が来たこともなく、人づてに彼女のようすを聞いたこともないが、数年たってから、ペリーは腕に彼女の名前を彫りこんだ。いつかディックがそれを見て、「クッキー」ってのは誰だい、と尋ねたとき、ペリーは答えた、「いや、なんでもないよ。すんでのところで結婚するところだった女さ」(ディックに結婚の経験が――二度――あり、三人の息子の父親であるということは、ペリーをなんとなくうらやましがらせた。妻帯し、子供を持つ――その経験は、たとえディックの場合のように、彼らが「彼を幸福にもせず、なんの役にも立たなかった」にしろ、「男として持たなければならない」経験であった)

トルーマン・カポーティ『冷血』龍口直太郎訳 新潮社刊(新潮文庫版) 昭和五三年九月二六日発行 一五九〜一六三頁