溝口健二の偽善者たち

 偽善者ほど深刻な面構えをするものだ。
溝口健二は決して長かったとはいえない生涯において、一度もそのように口ずさんだことはなかった。だが、だからといって溝口がそう考えていなかったとはいえない。とりわけ晩年の、遊女・芸妓・娼婦・売春婦を描いた一連の作品において、偽善者の存在は欠かせないものである。われわれが溝口の映画に対峙するとき、偽善者という言い回しに含まれる過度の断罪口調に怖気づくあまりに鞘を払う手先を緩めてはいけない。事実、その語彙はよく切れすぎて、これから偽善者と呼ぼうとする人々が落ち込んでいる悲惨な境遇を考慮すれば、彼らがまさにそうであるのは仕方のないことだと思えもしよう。彼らのひとりが妻に通いの娼婦をさせているのは、結核に感染して失職したからだし、学校に通わせたいと願う母の気持ちを裏切り東京のおもちゃ工場に働きに出てきたのは、親の働き口が露見し村の人間にからかわれたからであってみれば、どうにかこうにか命を生きながらえさせる資本がどこから生れ出たかを糾弾し、あまつさえ娼婦を「人間の屑」とまで叫んだとしても、致し方ないとまで思うかもしれない。なぜなら、結局のところ身を売るのは彼らではないのだから。つまりは、主役ではないのだから。
自分の持っているたったひとつのものである肉体を元手に商売をする行為は、「身を落とす」という語句に簡潔に示されるように、下降曲線を滑り落ちる典型的なレッテルとなる。足を洗うことの困難は、だれでも知っている。溝口の映画に悲劇的な調子を与えるのは、彼の重要な主題である転身が、ほとんどの場合零落として語られるからというだけではない。めくるめく下降曲線には、『残菊物語』(1939)においては芸道修行が、『夜の女たち』(1948)においては衣服の着脱が、『山椒大夫』(1954)においては掟が、『近松物語』(1954)においては誤解と嘘がその主旋律となる。たとえば、『夜の女たち』の冒頭は、田中絹代が夏物の衣服を質草に入れるシーンで始まるのだが、この身振りが不吉にも予見しているのは、この世界で女が貞操を守るためには衣服を着続けなければならないという規則の存在だ。溝口作品の悲劇の厳格さは、悲劇を体現する身振りの限定によってのみ生まれる。そうであればこそ、衣服を着るという何気ない行為がこの寄る辺ない世界で身を守る唯一の行為にまで高められるのだ。だが、女はときに衣服を売りに出さなければならないだけでなく、不意に画面を覆うように現れた女の集団が、襲いかかって身包みを剥いでしまう。本人の意志に関係なく、服を失った女は零落するしかない。この過酷な法則の行き着く先は、相手に合わせて衣服を脱いだり着たりすること、すなわち身を売ることである。
溝口の悲劇の主人公たちがさまざまに身をやつしながら文字通り身を挺して生きるのにたいし、その周囲に寄食する偽善者たちは、同様に身分をかえるという溝口的な主題を模倣しながらも、決して落下しようとしない。安易な感傷やヒューマニズム、もしくは単純に打算が浮き輪のように貼りついていて、生れついての自己保身が唯一の身上となるからだ。知らぬことは起こりえぬことと澄ましていられる手合いにとって、知ってしまうことは端的に苦痛であり、自らは選び取らなかったと言い張れる妥協のかたちをとる。世界は意志に反して――「かかわりなく」ではない――現にそうであるような状況に甘んじてしまった。どんなことでも起こりうる現実は、ただ醜いものでしかない。世界の醜さを拒否しうる限り、偽善者は安全だ。なぜなら己の清らかさの幻想に浸れるから。肝心なのは理解しないことであり、認めないことだ。というのも、理解し認めることは、自らもまた醜く汚れた世界のなかに所属することを意味するからだ。世界と内面の安定した二元論から、身の程知らずの社会正義を唱える声音が生れる。生真面目さが、決して自らの認識を改めない一徹さだけが、清と濁の境界線を確定する。だから偽善者はその身振りの不当さをつゆ疑わぬままに拒絶する。拒絶の瞬間、偽善者は世界と出会う(そして出会い損ねる)。かくして世界を告発するもっとも映画的な、それでいて贋物の表現は、汚いものに顔をゆがめるその一瞬の表情に宿るのだ。
一方、落下の美学の体現者たちにとって、落ちることは必然となる。意志は浮力を与えない。不幸と重力とが限りなく一致する地点で、落下に進んで身をゆだねることが、意志の問題にすり替わる。『残菊物語』で、長い放浪生活の末に出生舞台を踏む花柳章太郎を見守る森赫子は、まだ幕が降りるまえに舞台袖を離れて後ろをそっと振り返り、階段をゆっくりと降りていく。このカットが適切にも示しているのは、『近松物語』で香川京子が駆け下りる急峻な坂道と同じ、落下の視覚化である。舞台下の暗い奈落に祭られたお稲荷様に手を合わせていた理由を森が語るとき、そこには嘘が含まれている。女は別のことを覚悟していたのだが、口にはしない。陽気にはしゃぐ夫に調子を合わせて、ただ演技が成功するように祈っていた、とだけ語る。勘当を許された花柳を停車場に残し、森は訳もつげずに立ち去ることになる。この階段は、女の地位と正確に対応している。大阪のうらぶれた下宿先が、下駄屋の二階だったことは決して偶然ではない。花柳の弟の乳母だった森が夫婦の関係になるためには、駆け落ちではなく、単に階段を登るという行為が必要だったのだ。それは、ふたりが晴れて同格になったことを意味しない。桐で作った化粧台が届いた日、森が契りを結んだ相手にふさわしい呼び方で夫を「あなた」と呼ぶのは、階段の下からなのだ。こうして階段を上下することは、寄る辺ない夫婦のあいだに厳然と存在する階級を暗示する。同時にここでは、独特な狭さの感覚が働いている。いい役者にふさわしいと思って買った化粧台は、大きすぎて二階に運びこむことができない。このささいではあるが重要な演出は、『山椒大夫』の逃亡の場面でもみることができる。奴隷生活を余儀なくされた兄妹に千載一遇の機会が訪れたとき、妹が兄に伝えるのは、ふたりだと捕まえられるが、ひとりだけなら逃げられる、ということばなのだ。逃げおおせた兄を見送った妹は、そ知らぬふりをして塀のなかに戻るが、安穏としてはいられない。彼女は逃亡先を助言しており、口を割ってしまうかもしれない。真実は、ひとりの人間の腹のなかに収めておくことができないだろう。スキをついて逃げ出す妹は、助かるためではなく、ただ密告をしないために死を選ぶ。こうしてひとりが助かり、ひとりが犠牲になるという通俗的な展開が、最初のせりふとは異なったかたちで完遂される。この展開は、非常に不均衡な印象をもたらすだろう。なぜふたりではだめなのか、その理由は明らかにされない。とりわけ直前で、一本の枯れた木の枝を、ひとりが手をかけただけではびくともしなかったのを、ふたりがぶらさがることで折る印象的なカットを見た者にとってはなおさらだ。溝口にとって、ふたりが同時に苦界から浮上することなど考えられもしないかのように、事態は進行する。歌舞伎役者の夫が出世したとたん、かいがいしく支えてきた妻は病死し、戦中大陸に渡って身を壊した女は、妊娠を契機に更生を誓うが流産する。幸せにダブルは存在しないという厳格なクリシェは、こうして狭さの感覚を伴うことになる。溝口作品に逃亡譚が多く存在するのも、居場所がないという状況が、狭さを表すもっとも典型的な舞台となるからに他ならない。
おそらく、溝口のフィルモグラフィーのほとんどが、落下の美学の体現者たちによってその不朽の輝きを増したであろうことは、想像に難くない。落下していく者たちにとって、境界の越境は必然の過程となる。しかるべく配された地理的障害は、実際のところいたってやすやすと跳び越えられるのだが、逃げ延びようとする足先が水辺にたどり着く彼らはひとしく引き返すすべを知らない。彼らが知っているのは、自らが選んだわけでもない状況を進んで受け入れた以上、前に進むしかないということだけだ。ここに、悲劇の主人公と偽善者を区別する、ハムレット的な二者択一が存在する。『残菊物語』において、旅回りの一座からも見放された花柳と森が雑魚寝宿に身を寄せたシークエンスを思い出してみよう。泣かず飛ばずの夫に辛抱強く連れ添う森が咳をするのを見かねた花柳が、薬を買ってくると宿を飛び出したあと、われわれは奇妙な編集に出会うことになる。なぜなら、そこに続くのは薬を与えられ看護される側であるはずの森の姿だからだ。彼女はいたって矍鑠として宿を抜け出し、出世の筋道を作るために花柳の親友に頼み込みに行く。親友を引き連れ宿に戻ると、そこでは花柳のほうがすやすやと眠っていて、めでたく都落ちからの帰還が整えられることになる。つまり、助ける者と助けられる者の立場がいつの間にか入れ替わっているのだ。こうした反転は、『近松物語』の舟上での告白――「この世に思いを残さぬために」、誤解が重なりふたりで駆け落ち同然の逃亡をすることになったが、じつは主人の奥方であるおせんを前から恋い慕っていたという手代の茂平の告白が、おせんの死の決意を一転して翻し、「生きとうなった」と連呼させるシークエンス――のように、申し分ない演出として結実する場合もあれば、ときとして不均衡をあらわに残したままの場合もあるのだが、不意打ちのように意志の問題が浮上するのは、ここにおいてである。意志は差し迫った事態を打開するのにまったく無力であるか、大きな代償を伴わずにはいられない。どちらもともに落ちるか、どちらか一方しか助からない。状況はしかるべく限定され、選択はなされる。そして、すべては変わったのだ。彼らが浮かべるのは、深刻な顔ではない。不義密通の咎で刑場に連れられるふたりの下手人は、かつての奉公人によって「晴れやかな顔をしている」とつぶやかれるだろう。

偽善者ほど深刻な面構えをするものだ。確かに溝口は、このようにつぶやいたことは一度もない。それでも溝口の映画を観るとき、彼に成り代わってこうつけ加えずにはいられない人が多いだろうことは、容易に想像がつく。偽善者が浮かべる深刻な面構えは、どんな悲惨な状況に陥ったとしても適応できてしまう人間の殺伐とした本性に比べたら、なにほどのこともない、と。もしくは、先述した『近松物語』のラストと比較して、深刻さなど未練の謂いでしかない、とも思われるかもしれない。確かに、『愛怨峡』(1937)のように悲劇の体現者よりも偽善者を前面に出した作品は、フィルムの保存状態の悪さを考慮に入れても、映画としては失敗しているといわざるをえない。それでも、この作品には溝口が極めようとして中途で放棄した新しい主題が生々しく描かれている。『愛怨峡』がたどる、自らの過去の過ちを突きつけられ改悛するという物語は、偽善者に演じられることよってしかるべく書き換えられる。そこでは悲壮感よりも未練が、覚悟よりも馴れ合いが支配している。宿屋のせがれが上京を口実にして妊娠した恋人を捨てるが、やがて茶屋の酔客の隣に売笑婦となった女を発見する。男は過去を取り戻そうとするように、昔は嫌った田舎の宿屋の主人におさまり、漫才師となった女とその幼い息子を迎え入れようとする。女は男とのありえた関係を再現することを拒み、再び舞台に立つ場面で映画は終わる。男が改悛したのは、あくまで過去の過ちを帳消しにしたかっただけで、女を愛しているからではない。この小気味のいい断定は、当の女から告げられるのだが、男はその意味を最後まで理解しない。男がもっとも深刻な顔に捉えられるのは、自らの犯した過去が、のっぴきならない選択などではさらさらなく、打算と駆け引きに過ぎないことを暴露された瞬間である。女は舞台の上で、傷つけられた過去を笑劇として再演することで過去に復讐する。男が性根を入れ替えようと(偽の)決意に身を固めるのは、この場面においてである。起こった事実に対する認識の相違は、決して埋まることがない。この展開は、溝口の美学、あの落下の美学の体現者たちの滅びの行程を、別の語り口で辿りなおすことでもある。偽善者たちは、自らの本性に忠実であるあまり、不真面目な印象は微塵もない。彼らは常に本気なのだ。だからこそ、なんの疑問も抱かずに深刻ぶることもできる。彼らにとっての悲劇があるとしたら、自分を簡単に騙せるほどにはうまく他人を騙せないことで、当然のことながら、そんな悲劇性にはまったく共感する余地がないのかもしれない。だが、それも悲劇のひとつには違いないのである。
溝口の遺作となった『赤線地帯』(1956)では、偽善者たちの孤独がひしめいている。この孤独に名前があるとしたら、ピンク映画以前の孤独と呼ぶのがふさわしく、「夢の島」というサロンに集まる彼らが身をゆだねる経済原則は、売春婦も客も抱えの主人も皆、性を売る商業に関わることはなにかの代償行為でしかないというものだ。つまり、金銭の授受が介在する性行為は、彼らが本当に求めている行為ではない。これは、稼ぎがいいという理由で勤める売春婦にも、いずれ身揚げをして妻にしようと目論む客たちにも、また「政府が行き届かない場所で社会事業をしている」とうそぶく主人にもひとしく当てはまる。溝口が示した新たな悲劇のスタイルは群像劇で、悲劇を体現する特定の身振りを持たない悲劇であった。化粧や居住まいの張りひとつでまぎれもなくお里は知れながら、もとはといえばどこぞの家庭の娘なり母でしかない女たちにとって、捨てられない不幸は、身を売る決意をするまえにもあとにもついて回る。稼ぎを得るにはそれしかなかったと言わせた家庭の不幸が過去に刻印され、不特定多数の男たちに言い寄られるためには欠かせぬ媚態や身づくろいが現在を規定する。素人と玄人のあわいでどちらに居座ることもできない女たちに残されているのは、果てしのない反復だけだ。この振り子の中間には泥棒と同じくらい古くから存在する性を売る商売に関する価値判断を厳かに定める、ラジオのボリュームのつまみをいじる主人の手や深刻な顔の持ち主たちがいて、いつでも正義のひと言を彼女たちの頭上に降り注ぐべくかまえている。双方から弱みを握られた女たちは、逃げのびることもできない。善良であればあるだけ請求の催促に無碍もなく追い立てられ、善良でいようとすればするほど降り積もる支払いは滞る。残された道は、開き直りしかない。かくして偽善は同意を待たずに浸透していく。その場限りの生活を続けるために自らを騙し続け、今ある暮らしもこれからよくなる暮らしも慈善事業家気取りの主人や風紀良俗を綱領に据える政府という、最も当てにならない天からの配剤に頼らざるを得ない女たちにも、自らが背負ったわけではない重荷を主張し、正義は何かを知るという男たちにも。ここでは敗北の美学は残響を残しながらも鳴りを潜め、新派劇風の哀切な調子の芝居にかわって、たくましさやふてぶてしさ、もしくは投げやりな態度が舞台の基調となる。昔から遊郭では、睦言の真偽を詮索するのは野暮でしかなく、馴染みの遊女に入れあげて身代をつぶした客の話は特に珍しくもなく、ひとつの店で馴染み以外の女に手を出したために起こった痴話げんかにも事欠かない。それらはありふれた話だが、悲劇の平板化とでもいった事態は、落下の美学を放棄した演出の転換からのみもたらされるだろう。溝口もまた、偉大な映画監督が辿る転換期、自らの最も得意とするスタイルを捨てる時期にさしかかっていたのかもしれない。彼が示した方向性はその後、神代辰巳の『赤線玉の井 ぬけられます』(1974)にみられる見事な移動撮影に引き継がれることになるだろう。