ヤクザ研究ノート(2)

 ヤクザ組員と警察との戦後占領下における蜜月期から現在まで連綿と続いた司法取引の実態は、ほとんど公表されることもないまま「証拠物件」の捏造と余罪追求の取り下げをくり返してきたが、取引を持ちかけられた組員が暴露するほかにも、あまりに慣例に浸りきっていたために司法取引が現行法では禁止されていることを忘れて口を滑らせてしまった現職警察官の証言によっても発覚する場合がある。一九九五年の埼玉県警川越署、および一九九七年の警視庁蔵前署で起こった一連の事件は、いずれも起訴された事件とは無関係の「拳銃の提出」によって事件自体のもみ消しや訴追の取り下げを目的とした司法取引であるが、数ある凶器のなかでなぜ拳銃が証拠物件として選ばれるのかについては、検挙実数を一件でも多く伸ばしたいという警察側の涙ぐましい目論見以上に類推しなければならないのが、銃刀法(銃砲刀剣類所持等取締法)が一九九三年に改定された経緯である。第三十一条第五項で新たに規定された「自主減免制度」は、長らく司法取引を行ってきた癒着関係に、組員と警察双方の利害一致を作り出すことに成功した(しかし、この利害の一致はそれまでの癒着関係とははっきりと異なっている点を忘れてはならない。二足の草鞋という表現に象徴されるように、取締組織と犯罪組織は犯罪を管理するという意味では代々同じ業務を担っていた。行政機構の透明化が促進される時代においてすら、司法取引の可視化が実現されることを政治家が拒むのは、だがこうした一卵性双生児的な出自を隠したいという欲望からのみ理解するべきではない。悪と呼びなわされてきた行為が公共の秩序を維持するという普遍性の名のもとでは善になりうると開き直るよりももっと悪質な言い分がまかり通り、治安を整備する正義が遂行されるための大義と、警察内部で行われたとされる不祥事はまったく別の事柄に属しているため、法の不可侵・人権の尊重といった民主主義の基本とすべき大義はあくまでも揺るがないという、およそ正視に堪えない二枚舌の戯言を臆面もなく正義が述べ始めたという事実は、この不寛容な時代のはっきりとした徴候である。彼らはもう躊躇しないだろう。悪に対する抑止力が強化されたと同時に、正義に対する抑止力は失われたのだから)。
 警察の検挙成績が上がり、押収品の欄に拳銃という物騒な名目を記録する行為と、減刑や免罪を求めるために相場の下落しつつある拳銃を不正に購入する行為とが織りなす完璧な連携は、一九九三年以降の拳銃摘発の検挙数の急激な伸び幅として結実することになった。その輝かしいまでの実績は、旧来警察の不祥事には本腰を入れたことのなかったジャーナリズムに懐疑的な記事を掲載させたほどであったが、警察機構の提示した検挙率と彼らが実際に遭遇したはずの(そうしようと思えば検挙率の貢献に与ったはずの)犯罪件数とがほとんど同じ数値を示していると事情通に信じ込ませるほどには意図的な数値操作が成功したわけではなかった。こうした組織の自己申告に基づく計算方式はいつだって正確であったためしはなかったし、審議の結果ではあっても真理の結果ではないことは、この国ではだれもが承知している公然の事実であったからだ。したがって、皮肉なことに、こうした虚偽と自己欺瞞とがまったく信憑性に欠けると人々が思うこともまたなかったのだ。存在するはずもない証拠の積み上げがもっとも貢献したのは、権力の存在への盲目的な過信と現状肯定を促進する荒唐無稽な安全神話の強化においてだった。人々が総じて信じていたのは、操作方法などの手段ではなく、その「世界観」であったからだ。こうして、組織の壊滅というより縮小や解散を報じるニュースが週に一度は記事にならない日はなく、最終的な勝利には到達しない「封じ込め」があらゆるマスメディアで喧伝された。
政府内でわずか八時間の審議時間で法案化され、衆参両議院の全員一致で可決、翌年の一九九二年三月一日に施行された「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」(以下、「暴対法」)以降、組織暴力を断固として取り締まり、市民運動を連動させた公安警察の一貫して強行的な姿勢は、ヤクザ研究者たちに「被差別民」という言辞を思い出させるほど苛烈なものであった。「ヤクザ」や「博徒」、「任侠」や「テキヤ」などといった日本の伝統的な文化に深く根ざし、職能や縄張り意識、道徳規範や戒律によって区別されていた名称のことごとくは「暴力団」の三文字に統合された。一九九二年一月には早くも、茨城県の取手で「暴力団」の子息が仲間はずれにされたり、いじめられたりする事件が起こっている。この事件は、暴力団追放総決起大会が開かれた際に、幼稚園や小学校にキャンペーンの広告が配られたことに端を発する。広告の裏には暴力団追放を主張する塗り絵が掲載されていた。茨城県の同地区には「テキヤ」を稼業とする者が多く住んでいたため、善意を標榜する正義は、口さがない子どもの姿を借りて、同じまだ小さな子どもに狙いを定めたのだ。
 当局側が恣意的に解釈できる委任条項が多く、日本国憲法と照合しても多くの問題を抱える「暴対法」の第二条第二項では、警察が具体的、客観的な基準なくして「暴力団」のレッテルを貼ることを可能にしているため、法律家のなかには憲法第十四条の社会的身分による差別の禁止に違反している点を指摘する者もいる。取手で起こった事件は、組員の献血が拒否されたというささいだが兆候的な事例や、阪神淡路大震災において政府や自衛隊よりもはるかに迅速で的確な救援を行った山口組のボランティア活動を日本の報道機関が軒並み黙殺した事実とともに、正義の名のもとに公然と差別が行われた事例として記憶するべきであろう。二〇〇九年六月には、民事介入暴力対策全国大会が神戸で開かれ、集結した弁護士たちが山口組総本部を取り囲んでデモ行進を行ったが、そのときに掲げられたスローガンには「暴力団の非合法化を実現しよう」と書かれていた。ヤクザが非合法化したらどうなるか。この問題に関する識者の多くは、その答えを次のように結んでいる。「ヤクザは地下に潜行することでマフィア化するだろう」。つまり、ヤクザは新しい制度と無辜の市民によって、現にそう望まれるような姿になるだろう。「暴対法」の施行以前から目立った対立抗争を起こすことなく、合法・非合法を含めて実社会に溶けこんでいた「暴力団」の検挙数の統計は、ここ数年はわずかに六パーセント台を推移している。この数値には、「暴対法」が適応されない愚連隊やチャイニーズマフィアに代表される海外の犯罪集団の検挙数は含まれていない。