2011-03-24から1日間の記事一覧

(その二十一) 退屈

きのう、ぼくたちのうしろで一人の男が退屈のあまり座席から落ちた。 フランツ・カフカ『カフカ全集7 日記(一九一二年五月二三日の記述)』谷口茂訳 新潮社 一九八一年一〇月ニ〇日発行 201頁

(その二十) 視線

部長がぼくと事務のことで相談する場合(今日はカードの整理箱についての相談だった)、ぼくは、自分の視線か彼の視線かのどちらかを押しのける軽い皮肉が、いやいやながらでも自分の目のなかへ入ってこないと、部長の目をあまり長く見ていられない。彼の視…

(その十九) 昂進

ぼくはいつもより神経質になり、そして意気地がなくなり、数年前自慢していた落ち着きの大部分を失ってしまった。今日バウムから、どうしても東ユダヤ人の夕べの集いの司会役をやることができないと書いた葉書をもらい、それでは自分が一件を引き受けねばな…

(その十八) 感動

ヴェルフェル(カフカより七歳年少の早熟詩人。当時まだプラーク大学の学生だった)の詩のせいで、ぼくの頭は、きのうの午前中ずっとまるで蒸気でいっぱいになったような具合だった。一瞬ぼくは、感動がぼくをさらってまっすぐ無意味の底まで連れて行きはし…

(その十七) 割礼

今日の午前、ぼくの甥の割礼があった。がに股の小男のアウステルリッツは、もう二千八百回も割礼を行っており、処置が非常に上手だった。それは一種の手術だったが、幼児が手術台の上ではなくて祖父の膝の上に乗せられること、さらに手術者はよく気をつける…

(その十六) 握手

ゆうべ、ぼくはマリーエン小路のぼくの義姉妹に、同時に両手で握手した。まるでそれが二つとも右手で、そしてぼくが二重人格であるかのように器用に。 フランツ・カフカ『カフカ全集7 日記(一九一一年一〇月十九日の記述)』谷口茂訳 新潮社 一九八一年一…

(その十五) いつもよりましな自意識

いつもよりましな自意識。心臓の鼓動は、ぼくのさまざまな望みをいつもよりよく叶えてくれそうな打ち方だ。ぼくの頭上のガス燈のシュウシュウ鳴る音。 フランツ・カフカ『カフカ全集7 日記(一九一二年ニ月二六日の記述)』谷口茂訳 新潮社 一九八一年一〇…