(その五)オムスクの公衆浴場

 町じゅうに公衆浴場は二軒しかなかった。一軒は、あるユダヤ人の経営で、個室に仕切られていて、一つの個室が五十コペイカの貸切りで、上流階級の人々の専用のようになっていた。もう一軒が主として民衆の浴場で、古くて、きたなくて、せまくて、わたしたち囚人が連れてこられるのはむろんこちらの公衆浴場である。寒さのきびしい、晴れわたった日だった。監獄を出て、町を見られるというだけで、囚人たちはもう大喜びだった。途々軽口や笑いが絶えなかった。一個小隊の兵士たちが装填した銃をかついでわたしたちを護衛し、町じゅうの人々の目をおどろかした。浴場へ着くとすぐにわたしたちは二班に分けられた。先の班がはいっているあいだ、あとの班は寒い脱衣場で待っているわけで、これは浴室がせまいためにやむをえない処置だった。しかし、それでも、浴室があまりにもせますぎて、わたしたちの半数の者がはいりきれるとは、とても考えられないほどだった。だが、そのせまい中でペトロフがわたしのすぐそばにくっついていた。こちらから頼んだわけではないが、彼は自分からわたしの世話を買って出て、身体を洗わせてくれとまで言っていた。ペトロフといっしょにバクルーシンもわたしの世話を申し出ていた。これは屯田兵と綽名をつけられている特別官房の囚人で、囚人たちの中でもっとも陽気で愛嬌のよい男だと、わたしはまえにちょっと述べておいたが、たしかにそのとおりの男だった。わたしはこの男とはもうちょっとした友だちになっていた。ペトロフはわたしが服をぬぐのまで手伝ってくれた。というのは、わたしが慣れないので服をぬぐのにえらく手間どったし、それに脱衣場がほとんど外と同じくらいに寒かったからである。ついでにことわっておくが、囚人はまだよく慣れないうちは、服をぬぐのにえらい苦労をした。まず、足枷の下当てを早くとくことをおぼえなければならない。この下当ては皮でできている長さ十五、六センチのもので、股引の上から足に巻く。足枷の鉄輪が直接足にあたらないようにである。一組の下当ては、いちばん安いものでも銀貨で六十コペイカは下らなかったが、しかし囚人たちはみな自前でそれをもっていた。むろん、それがないと歩けないからだ。足枷の鉄輪はぴったり足にはまっているのではなく、鉄輪と足の間は指一本通るくらいすいていた。それで、鉄が足にあたり、すれて、下当てをしないと一日で擦傷ができてしまうのである。だが、下当てをとるのはまだそれほどむずかしいことではない。それよりもっとむずかしいのは、足枷をつけたままうまく股引をぬぐこつをおぼえることである。これこそ完全な手品である。いま股引を左足からぬぐとしよう。まずそれを足と足枷の鉄輪の間を通さなければならない。次いで、左足が解放されたら、今度はそのぬいだ股引をまた逆に同じ足枷の鉄輪へ通す。つづいて、左足からぬいだ分を、右足の足枷の鉄輪に通す、それからぬいでしまったものをすっかり、また右足枷の鉄輪を今度は逆に手前のほうへ通すのである。新たに股引をはくときもまったく同じようなことをくりかえさなければならない。新入りの囚人には、どうしたらいいのか見当もつかないほどである。はじめてそれをわたしたちに教えたのは、コレーネフという囚人で、トボリスクでのことであった。これはもと野盗の首領で、五年も鎖につながれていた男である。しかし、囚人たちは慣れていて、何の苦もなくやってのけた。わたしは何コペイカペトロフにわたして、石鹸と束子の予備を買わせた。たしかに、囚人たちに石鹸は支給されたが、二コペイカ銅貨ほどの大きさのが一つずつで、その厚さときたら、毎晩『中流』の人々の食卓に酒のつまみに出されるチーズ一きれほどの厚さしかなかった。石鹸は脱衣場で蜜湯や、パンや、すすぎ湯といっしょに売っていた。囚人には、浴場の主人との取決めで、すすぎ湯は手桶に一ぱいずつわたされることになっていた。もっとよく洗いたい者は、半コペイカ出せば手桶におかわりの湯を買うことができて、そのためにわざわざ脱衣場と浴室の仕切壁にくりぬいてある小窓からわたされる仕組みになっていた。ペトロフはわたしを裸にすると、足枷がじゃまになって満足に歩くこともできずにいるわたしを見て、手まで引いてくれた。「それを上にひっぱり上げなせえ、ふくらはぎのあたりまで」と彼は、まるで爺やみたいにわたしをささえながら、言った。「そらそら気をつけて、そこにしきいがあるよ」。わたしはいささか恥ずかしくなって、大丈夫一人で行けるからと、ペトロフを安心させようとしたが、ペトロフがそんなことを聞くはずがなかった。彼はわたしをまったく子供あつかいにして、まだ西も東もわからないし、一人歩きできないのだから、まわりの者が面倒を見てやるのはあたりまえだ、と思いこんでいた。ペトロフはけっして下僕ではなかった、他の何であるにしろ、下僕だけではなかった。もしわたしが彼を辱しめたら、わたしにどういう態度をとらねばならぬか、彼は十分に知っていたはずである。わたしは謝礼の金などけっして彼に約束したことがなかったし、彼のほうからも頼んだことがなかった。いったい何が彼にこれほどわたしの世話をする気にならせたのだろう?
 浴室の戸をあけたとたんに、わたしは地獄へ突き落とされたかと思った。奥行も間口も十二歩ほどしかないせまい部屋に、おそらく百人はいようかと思われる人間がひしめきあっている光景を想像していただきたい。すくなく見ても八十人はいたろう。なぜなら囚人たちは二班に分けられたが、浴場へ連れてこられたのは全部で二百人近かったからである。目を刺す湯気、煤煙、どろどろの湯垢、足の踏み場もないほどの狭苦しさ。わたしは怖気づいて、引返そうと思ったが、すぐにペドロフに励まされた。わたしたちは床一面にうずくまっている人々に、背をかがめてもらって、頭をまたいで通らせてもらいながら、どうにか、やっとの思いで腰掛けのところまで来た。だが、腰掛けの上の場所はもうすっかりふさがっていた。ペトロフが、場所は金を出せば買えるからとわたしに耳打ちして、すぐに窓際に陣どっていた一人の囚人と値段のかけあいをはじめた。その男は一コペイカで場所をゆずって、その場でペトロフから金を受取った。ペトロフはそういう場合のあることを見こして、浴室へはいるとき銅貨をにぎってきたのだった。その男はすばやくわたしの場所の真下へもぐりこんだ。そこは暗いし、きたないし、そして一面にねとねとした湯垢が指半分ほども積っていた。しかし腰掛けの下も場所は全部ふさがっていた。床一面、掌をつくほどの場所もなく、囚人たちがびっしりすわりこんで、身体を折り曲げて手桶の湯をつかっていた。すわれない連中はそのあいだに突っ立って、手桶を持ちながら、立ったまま洗っていた。きたない湯がその身体をつたって、下にすわっている連中の剃った頭にじかにこぼれおちた。天井近い棚にも、そこへのぼる段々にも、囚人たちが鈴なりになって、身体をこごめて洗っていた。といっても、洗っている者はわずかだった。民衆は湯や石鹸で洗うことはあまりしない。彼らは思いきり湯気で蒸されてから、ざあっと冷たい水をかぶるだけだ――それが彼らの入浴なのである。棚の上で五十本ほどの白樺の小枝がいっせいに上下していた。みんなぼうっと気が遠くなるまで小枝で身体をたたくのである。湯気がたえずふき出していた。それはもう熱いなどというものではなかった、まさに小熱地獄だった。耳を聾するような悲鳴や叫びを圧して、床を打つ何百という足枷の鎖の音がひびきわたった……通りぬけようとして、自分の鎖を他人の鎖にからませる者、下にすわっている者の頭に鎖をひっかけて、ぶっ倒れ、どなりちらしながら、そのまま引きずってゆこうとする者。そこらじゅう真っ黒い湯の流れ。脱衣場との仕切り壁にある、湯をわたす小窓のあたりは、押しあいへしあい、罵りあって、わんわんという騒ぎだ。せっかく湯をもらっても、自分の間所へ行き着くまでに、下にすわっている連中の頭の上へすっかりこぼしてしまう。しょっちゅう、窓や、細目にあけた戸口から、銃を手にした衛兵のひげ面が、何か騒ぎはないかと中をのぞきこむ。囚人たちの剃った頭や、真っ赤にうだった身体は、ますます醜悪に見えた。背中が蒸されると、いつか受けた笞や棒の傷痕がはっきり浮き出してくるもので、いまこうして見まわすと、どの背中も新しい傷のように見えるのだ。ぞっとするような傷痕! それらを見ていると、わたしは背筋が冷たくなった。たえず湯気がふき出し――そしてそれが濃密な熱雲となって浴室じゅうに充満する。みんなけだものじみた悲鳴をあげて、ぎゃあぎゃあわめきたてる。湯気の雲の中から、傷だらけの背中や、剃った頭や、曲げた手足がちらちら見える。そこへさらに、イサイ・フォミーチが天井近い棚の上でありたけの声を張り上げて咆えたてる。彼は気も遠くなるほど蒸されているのだが、どんな熱気も彼を満足させるまではいかないらしい。彼は一コペイカで三助を雇うが、雇われたほうが、そのうちに、どうにも耐えられなくなり。白樺の小枝をほうり出して、冷たい水をかぶりに逃げだすしまつだ。イサイ・フォミーチは一向にまいる様子もなく、つぎつぎと三助を雇う。彼はもうこうなったからにはけちけちしないことに決めて、五人も三助を替える。「よくうだらねえな、えらいぞイサイ・フォミーチ!」と囚人たちが下からはやしたてる。イサイ・フォミーチはいまこそ自分がだれよりもえらく、みんなを足下に踏まえたのだと、自慢の鼻を高くする。彼は勝ち誇って、甲高い気ちがいじみた声で、みんなの声を圧しながら、ラ・ラ・ラ・ラ・ラと例のアリアを叫びたてる。いつかわたしたちがみんないっしょに焦熱地獄に突き落とされるようなことがあったら、これとそっくりの情景が現出するにちがいない、ふとこんな考えがわたしの頭に来た。わたしはがまんができなくなって、その考えをペトロフに語った。彼はまわりを見まわしただけで、何も言わなかった。
 わたしは彼にもわたしのそばに場所を買ってやろうと思ったが、彼はわたしの足もとにすわりこんで、ここがひどくぐあいがいいからとことわった。一方バクルーシンはわたしたちのために湯を買って、要るだけ運んできてくれた。ペトロフは、足の先から頭のてっぺんまで洗ってあげよう、そしたら、「すっかりさっぱりしますぜ」と言って、しきりにわたしを湯気にあたらせようとした。だがわたしは、危ないと思って尻込みした。ペトロフはわたしの身体をすっかり石鹸で洗ってくれた。「さあ今度はあんよの番だよ」と彼はしめくくりに付け加えた。わたしは、自分で洗えるからと言おうと思ったが、もう逆らう気持もなくなって、完全に彼の自由にまかせた。この子供に言うような『あんよ』という言葉には、下男の卑屈な調子はみじんもなかった。ただ何となくペトロフはわたしの足を足とは言えなかったのである。おそらく、頬かの一人前の連中の場合は――足だが、わたしの場合はあんよにすぎないのであろう。
 わたしを洗いおわると、彼はさっきと同じもったいぶった態度で、つまりわたしをこわれものみたいに、そっとささえて、一歩ごとに注意しながら、脱衣場まで連れ出して、股引をはくのを手伝ってくれた、そしてわたしの世話がすっかり終ったのをたしかめたうえで、急いで湯気にあたりに浴室へ引返していった。


ヒョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー死の家の記録』工藤清一郎訳 新潮社(新潮文庫版)昭和四八年七月三〇日発行 二二四〜二三一頁