(その二十) 視線

部長がぼくと事務のことで相談する場合(今日はカードの整理箱についての相談だった)、ぼくは、自分の視線か彼の視線かのどちらかを押しのける軽い皮肉が、いやいやながらでも自分の目のなかへ入ってこないと、部長の目をあまり長く見ていられない。彼の視線を押しのける場合の方が、時間は短かったが回数は多かった。なぜなら、彼は視線をそらすように仕向けるどんな挑発にも、理由が分からないまま屈してしまうからであり、しかしまた、このことすべては自分の目の一時的な疲れのせいにすぎないと思って、すぐに視線を戻すからである。ぼくはそれに対してもっと強く抵抗し、自分の視線のジグザグ運動を速め、なおも彼の鼻にそってジロジロ眺め、両頬の影にシゲシゲと見入ったり、しばしば閉じた口のなかの歯と舌だけの援けで顔を彼の方へ向けたままにしている。――どうにも仕方がない場合、ぼくは目をふせるものの、けっして彼のネクタイより下へは目をやらない。しかし彼が目をそらしたとき、ぼくが彼のすぐ後を何も考えずにつけてゆくと、いつでもたちまち真正面からの視線を浴びせかけられる。
             フランツ・カフカカフカ全集7 日記(一九一一年一〇月二一日の記述)』谷口茂訳 新潮社 一九八一年一〇月二〇日発行 81頁