(その百七)ララ

 エキセントリックな人間というものは、一つ屋根の下に住んでいると癪のたねになることがある。例えば私の母は、奇妙なことに、ララのことをただの一度も私に語ろうとはしなかった。ララを一番愛したのは、彼女が遠くから嵐のようにやってくるのを見ていた人たちだった。ララは子どもが大好きだった、というより、少なくともいっしょにいてくれるものなら牛でも大人でも赤ん坊でも犬でもなんでも愛した。いつも取り巻きがいないとだめな人だった。が、誰かに「つかまれたり」「包まれたり」すると気も狂わんばかりになった。子どもの人格には理解があったが、膝にのせて抱いてやるようなことは避けるようにしていたし、孫を散歩に連れて行くときにも、孫に手を握られるのは我慢ならなかった。それで、ヌワラ・エリヤ公園にある恐ろしい迷路の入り口に入りたがるようさっさと仕向けて孫を置き去りにし、勝手に迷わせておいて、自分は花を盗みに行ってしまうのだった。常に、決然と身体でわがままを通す人であった。ダンスに出かける前に息子に母乳をやるために�拘束�されなければならなかったことについて、六十歳をすぎてもまだ愚痴をこぼしていた。
       (中略)
 三〇年代中頃までには、ララもルネも家畜を牛疫で一頭残らずやられてしまい、二人とも酒に溺れ、一文無しの暮らしをしていた。
 いよいよこの頃からララの人生は、後に一番の語り草となる時期へ突入していった。子どもたちは結婚し、もはや足手まといではなくなっていた。それまでは彼女の社交の拠点はパーム・ロッジだったが、その家を売らざるをえなくなった今、全財産を失った大昔の君主のように国じゅう至る所の友達のもとへはじけとんだ。どこへでも行き放題、なんでもしたい放題。ありとあらゆる人を十二分に利用して、国じゅうに拠点を築いたのだった。次から次に思いつくパーティやブリッジの試合の計画がばかばかしく大きなものになっていった。酔っていてもいなくても、彼女は「情熱」の固まりだった。以前から花は好きだったが、最後の十年間は自分の手で育てるような面倒なことはしなかった。それでも、人を訪ねるときには必ず腕いっぱいに花を抱えて登場し、こう告げる、「今教会へ行って、あなたのためにちょっと花を盗んできてあげたわよ。これはアベイレカレ夫人のお庭から、ユリはラトケナヤ夫人のところから、紫クンシランはヴァイオレット・ミーデニヤさんのところ、あとはお宅の庭からとってきたの」。彼女は、たとえ持ち主がいる前でも激しい衝動に駆られて花を盗んだ。誰かと話をしているとき、手持ちぶさたな左手が目立って美しいバラを根こそぎきっこぬいてしまう。それも、ただひたすらその瞬間にバラを愛で、心ゆくまで見つめ、その魅力をまるごと吸い尽くすと、もういらないとばかり持ち主の手に返してしまう。コロンボとヌワヤ・エリヤにある最も見事な庭園の何か所かを、彼女はめちゃくちゃに荒らしてまわった。ガグゴールの公営庭園からは数年間締め出しをくう始末だった。
 財産は人に提供するためにあるものだった。豊かだった頃は、近所の貧しい子どもたちのためにパーティを催し、プレゼントをあげた。お金がなくなってもやはりパーティを開いてやったが、その場合は朝ペタ市場からおもちゃを盗んでくるのだった。それまでいつも、困っている人に誰彼かまわず自分の持てるもの全てを与えてきたので、今度は自分が必要なものはなんでも盗っていいと思っていた。彼女は叙情的な社会主義者だった。晩年、帰るべき家をなくした彼女は、他人の家に乱入して週末を過ごしたり、場合によっては何週間も居座り、親友たちを相手にブリッジでいかさまをしながら彼らを「この泥棒」とか「悪党」めと呼んだりした。金儲けのためだけにブリッジをしていたので、むずかしいコントラクトにあうと自分の手を放り出し、他の人の手も全て回収してしまい、「残りは私のものよ」と言い放った。彼女が嘘をついていることは誰もが知っていたが、かまいはしなかった。一度、まだ小さかった私の兄と二人の姉がポーチのところで「すかんぴん」という遊びをしていると、ララが見に来たことがあった。彼らのそばを行ったり来たりしながら、彼女はとてもいらいらしているようだった。十分後、ついにしびれをきらした彼女は、財布をあけて子どもたちに二ルピーずつ与えて言った、「もう二度と、もう絶対に、仲良くするためにトランプ遊びなんかするんじゃないよ」
       (中略)
 ララがたいそう自慢していたこと、それは、セイロンで初めて乳房切除手術を受けた女性だということだった。後になってその必要はなかったと判明したのだが、現代科学を支持する姿勢は常に変わらず、新たなる目的のためには我が身を投げ出すことも辞さなかった。(死に際してまで、彼女は物理的に可能な範囲を超えた寛大さを示した。なにしろ六軒の病院に献体の申し出をしていたのだから。)作りものの乳房は、しかるべき位置に長くおさまっていることがなかった。なにしろ元気いっぱいの人だったから。右側の双子の片割れのほうに寄っていってしまったり、ときには背中に回ってしまうこともあったが、「ダンスするのにじゃまだったからね」とすまして笑顔を作っていた。その乳房を彼女は「私のさまよえるユダヤ人」と呼んでおり、格式張った夕食会のときでも、おっぱいをつけてくるのを忘れたから取ってきてちょうだい、と孫に大声で頼むのだった。使用人がいったい何なのかわからず持ち去ったり、犬のチンディットがまるで柔らかい鶏肉でも噛むようにそのスポンジを噛んでいるところが発見されたり、ララのまがいものの胸はなくなってばかりいた。結局、一生の間に四つの胸を経験したことになる。一つは、大雨でびしょぬれになったのを乾かそうとハクゴール庭園の木の枝にひっかけたきり、置き放しになったもの。一つはヴェレのモーターバイクの後ろに乗せてもらったときに飛んでいってしまった。もう一つについては、ララはいやに秘密めかして恥じらう素振りまで見せていた。決して恥ずかしがったことなどない人がである。内閣にいたとかいないとかいう男とトリンコマリーであいびきをして胸を忘れてきたにちがいない、だいたい誰もがそう思っていた。


マイケル・オンダーチェ『家族を駆け抜けて』藤本陽子訳 彩流社 一九九八年三月一〇日発行 一三六〜一四三頁
Michael Ondaatje , RUNNING IN THE FAMILY 1982