(その百六)高階充

 東京からひとりの女の子が越してきたらしいという噂が広まったのは、房枝が盆の迎え火の準備をしていたときだった。母親の昭子が縫製工場に出ていたため、昼ご飯の準備をしていた房枝が、食器を並べるために盆提灯につかう和紙や竹ひごをどけていると、いとこの高階充が三和土から声をかけてきた。
 料理をしているところだからと席を勧めた房枝にとって気がかりだったのは、充の分の料理が足りるかどうかだったが、食事はしてきたからと充は手で制して丁重に断った。そんな仕草にも、東京で働いている者の物腰が感じられた。暑いのにサマーブルーのジャケットを羽織った充は、シャツの襟を指ではさんで空気を入れた。イタリアンカラーしゃれたシャツにはアラビアの風景が描かれていて、荷を運ぶらくだの行列を踊り子たちが腰を振りながら導いていた。房枝は麦茶を入れて三和土に置いた。
 高階充は、工業高校を出たあと西東京にある自動車工場に就職した、一九歳になったばかりの青年だった。寮生活をはじめた充はすぐさま月賦で車を購入した。村の年寄り連は、後先考えない衝動的な買い物を快く思わなかったから、収入の半分を車に取られてベルトコンベアーで車を作りつづける充の生活を馬鹿にしたが、都会の自由な空気や身のこなしは、居住空間の圧倒的なせせこましさや残業つづきの過酷な労働をのり越えたところでしか手に入れられないと達観した充に共感する者は多く、村を抜けだしたい若い衆の羨望の的になった。なによりも若い衆を魅了したのは、その犠牲にするに値するなにかを充が手に入れたという事実だった。じっさい、充は車を華麗に乗りこなした。中古のトヨタ・スポーツ800。この国産初のスポーツカーは、800ccに満たない二気筒の非力なエンジンを徹底的なボディの軽量化でカバーしていたため、加速しても気の抜けた排気音しか出なかった。田んぼの向こうを走っている姿に耳をすますと、かすかに鳩が喉を鳴らすような音が聞こえてきたものだった。以前は実際にレースで使用されたらしく、市販車とちがいドアがスライド式だった。このドアを小粋に開けてナンパをするのが得意技で、地元にのこった充の同級生が何人か引っかけられたという。ポケットにはいつも爪やすりをしのばせていた。助手席の女が手持ち無沙汰になったときにどこを見るかよく知っていたのだ。大きく左右へハンドルを切ったあとに指をぴんと伸ばしてくるくる回るハンドルをすべらせる仕草は、房枝もはっとするくらい優雅でさまになっていた。だから、20kmおきにラジエーターに給水しなければ白煙をあげる欠陥車であることはだれも気にとめなかったし、充はそのつど喫茶店やビリヤード場に誘ってうまくそれを隠した。
 東京に出て口先ばかりが達者になった充は、白いワンピースを着た女の子を見て、助手席の悠治が静止する間もなく車を跳び降りた話をはじめたが、それはほとんど独り言のようで、房枝には聞きとることができなかった。