(その八十三) ボゾ

 翌朝、われわれはもう一度パディの友達を探しにかかった。ボゾと言って、大道絵師、すなわち道路の上で絵を描く男である。パディの世界には住所などは存在しなかったけれども、ボゾはランベスで見つかるのではないかとは漠然とわかっていて、結局エンバンクメント(チェルシーに接するテムズ河畔の通り。公園もある)でみつかった。ウォータールー・ブリッジから遠くない所で店を開いていたのである。彼は白墨の箱を脇において歩道に膝をつき、安物のノートを見ながらウィンストン・チャーチルの似顔絵を描いていた。なかなか悪くない。小柄で色の黒い、鉤鼻の男で、頭は短い縮れ毛だった。右足の踵が、見るのも恐ろしいほど前の方へ捻じれているために、右の脚までひどく変形している。その顔を見ればユダヤ人のように見えたが、彼はそれを強く否定して、その鉤鼻は「ローマ式」なのだと言い、たしかヴェスパシアヌスだったか――誰かローマの皇帝に似ていると自慢していた。
 ボゾの話し方は独特で、ロンドン訛があるようでいて、きわめて明晰かつ表現力に富んでいた。いい本をたくさん読んだのに、その文法は身につけようとしなかったという感じなのだ。パディとわたしは、しばらくエンバンクメントで話しこみ、ボゾから大道絵師の商売について聞かせてもらった。多少とも彼の言葉で、それを再現しておく。
 「おれは、いわゆる本格派の大道絵師なのだ。その辺の連中みたいに黒板用のチョークなんか使わないで、画家が使うのと同じちゃんとした絵具を使っている。べらぼうに高くてな、とくに赤は。一日五シリングは絵具代がかかるね。ニシリングを下ることはない(原注・大道絵師は粉末の絵具を買って、これをコンデンスミルクで固めるのだ)。専門は風刺画でね――政治とかクリケットなんかだよ。見てくれ」彼はわたしにノートを見せた。「これには政治屋の似顔がみんな描いてある。新聞から写したんだ。毎日、違った絵を描く。たとえば予算案がかかっているときには、『借金』と書いてある象をウィンストンが押しているところを描いて、下に『動かせるか?』と書いた。わかるだろう? どの政党の風刺画を描いたっていいが、社会主義の後押しをするような奴は描いちゃいけない。警察がだまっちゃいないからね。一度、資本と書いた大蛇が労働と書いた兎を飲みこんでいる絵を描いたことがあるんだが、やってきたおまわりが見つけて、『それを消せ、早く』って言うんだ。仕方なく消したよ。おまわりにゃ追い立てる権利があるし、口答えをしても始まらないからな」
 わたしはボゾに、この絵でどれくらい稼げるものかと聞いてみた。彼は答えた。
「いまごろの季節だと、雨が降ってなきゃ、金曜から日曜までに三ポンドにゃなるね。金曜にゃ、みんな給料が入るんだよ、な。雨が降ったら仕事にゃならない。絵具がすぐ流れちゃうからね。一年をならせば、週に一ポンドかな。冬はあまり仕事にならないから。オックスフォード・ケンブリッジ対抗のボートレースの日とか、ウィンブルドンの決勝の日なんかだと、四ポンドも稼いだことがある。だがそれにゃ、客からかっぱらわなくちゃならない。ただすわりこんで眺めてたんじゃ、一シリングもとれないからね。普通は半ペニーよこす。だけど、その半ペニーだって、こっちからちったあ何か言ってやらないと、とれやしねえんだ。うまく客が何か言ってくれりゃ、恥ずかしいもんで、よこさないわけにいかなくなる。いちばんいいのは、しょっちゅう柄を変えることなんだよ。描いてるとこを見ると、立ち止まって眺めるからね。困るのは、こっちが帽子を持って回りだすと、客が蜘蛛の子を散らすように逃げちまうことだ。じっさい、この追っかけっこにゃサクラが要るね。こっちは描いてて、客に見させておく。そのあいだにサクラがふらっと客の後ろへまわりこむ。客はサクラだとは気がつかない。そこでとつぜんサクラが帽子をぬげば、挟み撃ちさ。ほんものの紳士連中は一文も出さないよ。いちばん金になるのはみすぼらしい奴らだ。それと外国人さ。ジャップにゃ六ペンスもらったことさえある。黒いのだとか、そういう連中からもな。こいつらは英国人みたいにケチじゃない。もうひとつ大事なのは、金を隠しとくことだ。一ペニーくらいは帽子の中に入れといてもいいがね。こっちが、もう一シリングかニシリング稼いでると見たら、一文だって出しゃしないよ」
ボゾは、エンバンクメントの他の大道絵師たちを軽蔑しきっていた。あんなのは「メッキ屋」にすぎないと言う。そのころ、エンバンクメントには、ほとんど二十五ヤードおきに大道絵師がいた。――二十五ヤードがショバとショバの最低の間隔とされていたのだ。ボゾは五十ヤードほど向こうにいる、白い髭の老絵師をバカにしたように指さした。
「あそこにまぬけなおいぼれがいるだろう? あいつは十年一日のように、同じ絵を描いてるんだよ。『忠実な友』と称する奴でね。水ん中へ落ちた子供を、犬がひっぱりあげてる絵さ。あのバカ爺い、十の子供っきゃ描けやしないんだ。パズルを解くみたいに、あの絵だけを指で寸法を測って覚えたってわけだ。この辺にゃ、そういう奴が一杯いるよ。奴らは、ときどきおれのアイディアを盗みにくる。だが、かまやしねえ。バカどもにゃ自分で何か考える知恵がないから、いつだっておれが先さ。風刺の命は、時代遅れにならないことだ。子供がチェルシー・ブリッジの欄干に首をつっこんで抜けなくなったことがあったが、おれはその話を聞くと、まだその子の首が抜けないうちに舗道に描いてみせた。早いんだよ、おれは」
 ジョージ・オーウェル『パリ・ロンドン放浪記』小野寺健訳 岩波書店(文庫版) 一九八九年四月一七日発行 
George Orwell, Down and Out in Paris and London (1933)
Secker & Warburg (1954)