(その八十) ルージエ夫婦

変わり者もいた。パリのスラムは変わり者の巣窟である――孤独で狂った同然の人生に落ちた結果、ふつうのまともな人間になることをあきらめてしまった連中だ。金が労働から解放してくれるように、貧乏は人間を常識的な行動基準から解放してくれる。このホテルの客の中には、言語に絶するほど奇妙な生活を送っているのがいた。
たとえば、ルージエ夫婦という、年寄りでボロを着た小人みたいな夫婦がいて、じつに妙な商売をしていた。夫婦はサン・ミシェル大通りで絵葉書を売っていた。傑作なのはこの絵葉書をポルノ写真のようにきっちり封をして売っていたことで、実はロワール周辺のシャトーの写真なのである。客がそれに気がついたときにはもう手遅れだから、もちろん一人も文句など言いには来ない。ルージエ夫婦には週に百フランくらいの稼ぎがあって、ぎりぎりに切り詰めて、いつでもなかばは餓死寸前、なかばは酔っぱらっているような生活を送っていた。夫婦の部屋の不潔さときては、あまりのひどさに、すぐ下の部屋まで臭うほどだった。マダムFの話だと、ルージエ夫婦は、どちらもいま着ているものを四年間ぬいでいないということだった。
     ジョージ・オーウェル『パリ・ロンドン放浪記』小野寺健訳 岩波書店(文庫版) 一九八九年四月一七日発行 一〇頁
George Orwell, Down and Out in Paris and London (1933)
底本Secker & Warburg (1954)