(その七十九) 清水N

 彼女は、地方のある飲食店に勤めているあいだに体重が二十キロ増えたが、性的な魅力はいっこうに衰えていないと自負していた。
経験が彼女にこう語った。女の魅力の大部分は、まだ女の価値を知らない男によって作られる。知ったと思う男は、かえってそれを魅力と感じなくなる。
くり返された行きずりの愛が彼女にこのシンプルなモットーの可能性を教え、外れくじの男たち――逢引の相手を彼女はそう呼んだ――の去りゆく背中がそれを事実に違いないと断定した。一場の親密な行為を無惨に打ち消すこの事実は彼女をおおいに憤慨させ、別の可能性を探らせたが、似たりよったりの例証が増えただけで、最後には彼女の人生観に落ち着いた。そのあいだ余分に増えたのは、二十キロの体重ばかりではなかった。同じ数だけ降り積もった歳月は、若さと同時に彼女の卑猥な性格からみだらさを失わせた。彼女は五十六歳になった。
この職業に長くついた者によく見られる堅肥りの女で、はちきれそうな制服のベストはわき腹に三つのこぶを作っていた。がに股のために余計にひきしまった尻は、膝丈のスカートにうねる筋肉を隠した。いつのまにかしゃがむときに客の視線に気を使うこともなくなっていたが、腰を痛めないために不自然な姿勢で膝を折らないよう深く戒めもした。彼女によれば、女たちがこの職を離れる最も大きな原因が「膝を丸める」行為だったからだ。「怪我は一生もんだけど、腰にまたがるのは一時だもん」と、彼女は臆面もなく更衣室で同僚に言った。
 中年にさしかかった女は、太っていたほうが魅力的だと思い、積極的に現在の肉のついた自分を肯定した。まだ男たちをじゅうぶんに惹きつけられるという彼女の抱く自負のとっておきの根拠を話す相手は、注意深く若い男だけに限られることになった。
女の魅力は、まだ女を知らない男によって作られる。この経験則がはじめて役に立ったのは、男と女のする行為ではなくて、それを語ることにおいてだった。若い男の知らないことなら、彼女はなんでも知っていると思った。また、彼女が知っていることは、若い男がぜひとも知るべきことであった。だから彼女は職場で働く若い男に声をかけた。もっとも、接客業に馴れた彼女の声はよく響いたので、駅前でフィリピンパブの勧誘を受けたという話は、百席ばかりあるフロアを歩きまわる従業員のだれもが耳にすることができた。
「あなたいっしょに私たちと働かないっていうのよ。同じ国の女としてさ。あたしは日本人よっていってやったら、フィリピンのお姉ちゃんがきょとんとした顔して、てっきり、いっしょに海を渡ってきた母国の女かと思ったってさ。駅前で、あたしが日本人に見えない、いっしょに働けば稼げるってねばるのよ。そんなとこで働きたくないからっていってやったけどさ」
 彼女に突然話を振られた男は、当惑して二の句がつげなかった。男がようやく、「じゃあ、働けばいいじゃないですか」と見当違いな返事をしたころには、次の貸切パーティの図面が到着して皆が忙しくそれぞれの持ち場につこうと動き始めていた。男の声はかすれて聞き取れなかった。
 彼女は若い男のうぶな反応を見て、十分に満足した。男の当惑が、母親ほど歳の離れた女のあけすけな軽口を聞いたことによって引き起こされたという可能性は、彼女にはさほど気にならなかった。フィリピンパブに勧誘されたことが、彼女の性的な魅力につながると解釈した人間は、さしあたりだれもいなかったし、それでもかまわなかった。肝心なのは、男がとまどったあげく、彼女を見る目が変わったという事実だった。驚くことに、こうした心因的な駆け引きは、彼女にだけ可視化されたわけではなかった。
はじめは動揺しか示さなかった男が、しだいに彼女の猥談に適切な相槌を打つようになる。知るべきことは、知ろうとする勇気に覆われる。なんら学ぶ価値のない話が、教訓的な風采をおびる。ついには男が自信を持つまでになり、両者のあいだに信頼が生まれる。お互いが同世代の異性からは決して味わえない満足を感じはじめたころには、彼らにとってはもはや簡単な指示など口にするまでもなく通じ合った。すると周囲の人間にも視線や短い忠告による業務上のやり取りが円滑にすすみ、ふたりを軸に飲食店のフロアが動き出した。ただささいな軽口をささやきあうだけで、変化は劇的だった。
「ああ、もう肩が痛くってしようがない」
「揉んであげましょうか」
「いいよ、ここじゃあ」
「俺はどこでもいいですよ」
 こんな会話が忙しい昼時の合い間合い間に交わされ、周囲の人間にもそれほどおかしいこととも思われなかった。ときには、しゃべっているふたりのほうが遠慮をしているらしいそぶりを見せさえした。
 新たに彼女たちに現れた関係は、ふたりがどんな会話のなかでも崩さない配慮によってもたらされた。それは、相手の言葉を本気で取るのを避けることだった。この配慮が崩れる瞬間があったかどうかは、当人たちにしかわからない。新たな段階にさしかかって彼女が思い返したのは、懲りない人生が教えてくれた、経験則の後半部分であった。
女の魅力を知ったと思い込んだ男は、かえってそれを魅力と感じなくなる。
実際、彼女の培った教訓は、みごとに円環を描いていた。第一の教訓が第二の教訓を導き、第二の教訓が第一の教訓を導いた。第二の教訓に関しては、それが最終的な結論であるとは、彼女にはどうしても思えなかった。それは、いつも適当な口実で捨てられてきた彼女がいつかは乗り越えるべき山だった。彼女はそのまえで引き返してばかりいた。時間だけが過ぎていった。
もう若くないという否定しがたい事実が彼女に押し寄せてくるのは、こんなときだった。いったん自分の年齢が意識されだすと、若い男との駆け引きは、ただの煮え切らない態度に感じられ、じれったくなった。なにも始まっていないことは、いつまでも始まりそうになかった。もどかしさだけが募った。
彼女の欲求不満は、さしあたって飲食店の業務をすべからく統治することに向けられた。彼女はパートであったがだれよりも長くその飲食店に勤めていたため、若い社員よりもずっとよく仕事のコツを知っていた。彼女は自分の一番やりやすいルールを敷き、それは絶対だった。洗浄機にかけた箸の拭き方から、残った食事の処分の仕方まで、移り変わりの激しい職場のだれもが彼女のルールに従うべく教育された。トレイに載せたグラスの上に別のグラスを組んだトレイを載せるのは三段までとすることは、比較的早くにこの仕事を始めた人間が守る規則になったし、焼酎やウォッカ紹興酒などの酒類は、彼女の考えで客席からわずかに見える切りとおしの棚の二段目に置かれた。テーブルの上の紙ナプキンとメニュー表の配置も彼女が決めたし、新しく買いかえたコーヒーメーカーも、それまでの製氷機の横からレジスターの脇の段差がある台に移動した。接客態度に関しても、彼女の目配りは容赦なかった。どこからでもゲキがとんだ。彼女の目からすれば、間違いはどこにでもあったし、彼女でない誰かが叱ったあとでも、改めて叱りなおした。数年単位で新しく配属される社員には、彼女よりもずっと効率的に物事を進める能力を持った人間がいたが、そうした人たちにも彼女のやり方を改めることはできなかった。社員たちは、その責任ある職務の権威を守るために制服も異なっており(彼らはジャケットを着ていたが、他のものはベストだった)、社員よりも統制力を発揮する彼女を煙たがりもしたが、最も強情なものでさえできることといったら彼女と職務の分離をはかるくらいで、かろうじて自らを慰めていた(彼らが別の職場に移るころには、社員の証しである黒いジャケットは、ベストと違って簡単にクリーニングに出すことを禁じられていたために、すっかり傷んでポケットには穴が開いていた。自前の鉄道沿線で手広く事業を進めるその企業はとにかくケチで有名だった)。彼女の存在は絶対的であったため、その飲食店では、毎日訪れる客たちも彼女のもっとも動きやすい方法に合わせているように見えた。もちろん彼女も疲れることがあり、命令が恣意的になることもあったが、それは(余分なことをしながら)休んでいいという指示か、その通りに働けという意味しかなかった。
統治は完璧だったために、彼女は提案されるということがなかった。人々は不満も洩らさず働いたが、それだけだった。店が老朽化するように、彼女のやり方も古びていった。