(その二十九) グロリア

 グロリアにとっては、私は庭のようなものだ。草取りをしたり、剪定したり、結んだり、しぼんだ花を取り除いたり、アリマキを退治したりする必要がある。ときどき私がフォークを右に、ナイフとスプーンを左にセットすると、もう何十年もやっているのにどうして間違えるのか、と妻は呆れる。私がズボンをはかずにテーブルにつこうとするかのような剣幕だ。時間が子孫生産工場に若い世代を送り込むのを見届けるため、たまに出席する結婚式でダンスをするたび、妻は私にもっと大きなステップを踏め、肩を揺らすのはやめろと言う。スープを音を立てて飲むこと、映画館の暗さにまぎれて鼻をほじること、チェックの上着にストライプのネクタイを合わせること――このようななんでもないことを妻はひどく嫌い、怒り狂う。それに腹を立てる私のほうが悪いのかもしれない。妻は格子にバラのつるを這わせるように、私をしつけたいだけなのだ。私は老いて衰弱するにつれ、衰えを知らぬ妻の小言にまずます屈服するようになった。妻は私の運転が危なっかしいと思っているので、一緒に出かけるときは妻に運転させるのが一番無難だ。パジャマに着替える前にはもう一晩着られるかどうか妻が確かめることになっていて、私はおとなしくそれを差し出す。妻は襟のところを嗅ぎ、顔をしかめ、私にパジャマを返し、「洗濯かご」と言う。
    ジョン・アップダイク『終焉』風間賢二訳 青山出版社 280〜281頁