感情に含まれた、想像されたもの。恐怖。

 かつて師は、弟子の陳情に答えてこう言った。あなたは、人生のあらゆる場面に忍び込む恐怖をなんとか克服する方法を知りたいと言った。まず、恐怖を克服するためには、それに打ち勝たなければならない。恐怖に屈してなお克服することはできないのだから。しかし、恐怖に勝ち続けることが、それを克服することだろうか。われわれは、恐怖をこの生身のからだから駆逐することなどできない。それでは、あなたの陳情である、恐怖を克服するすべは、ついに得られないのであろうか。弟子はうつむき、自分の推論がまったく正当であることを嘆いた。というのも、彼は師にもっとすごいことを期待していたのだから。弟子が辿った推論を師が正確になぞるなどということほど、弟子を落胆させるものはなかった。ここで師は続けて言った。あなたは、自分がなぜ恐怖を覚えるのか、知っていますか。恐怖を知らずに克服することはできても、知らずに理解することはできません。そして、恐怖は、あなたがまさに理解しないことから、よりいっそう大きな恐怖は、あなたが理解しようとはしたくないことから生れるものです。弟子は身を乗り出して聞いた。私はいったい何を理解したくないのでしょうか。師は弟子の目を見すえて答えた。恐怖をあなたの生身のからだから逃してはなりません。それはあなた自身の姿です。事実と事実についての考えは違います。そして、あなたとあなたのなりたい姿もまた違うのです。もし、あなたが事実と直面することができたのなら、あなたが理解すべきことは、何もありません。事実はただそこにあるだけです。事実そのものが恐怖を生み出すことはあるでしょうか。恐怖を生むのは、いつでも事実に対するあなたの考えなのです。