(その二十四) シャルル・ボヴァリー

 シャルルの話は歩道のように平凡で、月並みな考えがふだん着のままそこを行列して行った。なんの感動もあたえず、笑いも夢もさそわなかった。彼のいうところでは、ルアンにいたときもパリの役者を見に劇場へ行きたいなどという気はまるで起こらなかったそうだ。泳ぎもできず、剣術も知らず、ピストルもうてない。ある日など、小説のなかに出てきた馬術用語を彼女に説明してやることができなかった。
 男とはそんなものであってはならず、さまざまなことに秀でて、情熱のはげしさとか生活の洗練とか、あらゆる神秘的なことへの手引きをしてくれるものではないのか。ところで、この男はなに一つおしえてくれず、なにも知らず、なにも望んでいないのだ。彼は妻を幸福だと信じていた。そして、妻のほうでは、夫のこの落ち着きかた、少しの不安もない愚鈍さ、彼女があたえている幸福をさえ、うらめしく思っていた。
    ギュスターブ・フローベールボヴァリー夫人生島遼一訳 新潮社50〜51頁