(その二十五) デイジー・パーカー

「おお、ノー。私を捨てないで」と、デイジーは言うやいなや、わっと泣き出した。「私があんたを愛してるってことは、知ってるでしょう。だからこそ、こんなに嫉けちゃうのよ」
 前にも言ったように、デイジーは全く教養がなかった。全く無知で、全然教育を受けていないと、人はいつも嫉妬深く、よこしまになったり、憎しみを抱くようになる。物事にはいつも表と裏があるのだが、無知な人間には、両面をうまく扱うことができないのだ。デイジーは、私がだれかにささやいているのを見て、カッとなることがある。そんな時、彼女は、「私のこと見てるんだから、私の悪口を言ってるんだわ」と言うだろう。それは、こわがりだからではないだろうか。とにかく、私が苦しみと喜びの四年間を彼女と過ごせたのは、デイジーをよく理解していたからだった。
 人はちょっとした真理くらいは知っていなければならない。そうでなければ、いつも苦境に立たされてしまう。だがデイジーは新聞一つ読めないどころか、啓蒙的なことは一切だめだった。幸いにも彼女は女だったし、とにかく美人だった。容姿というものは、世の中に様々な違いをもたらすものだ。女は馬鹿であろうとなかろうと、容姿で世界はがらりと変わってしまう。だから私たちの仲も治まり、またしばらくはお互いに何とかやっていったのだった。
     ルイ・アームストロングサッチモ ニュー・オルリーンズの青春』鈴木道子訳 音楽之友社180〜181頁