(その十七)  ソープヘッド・チャーチ

 むかし、物が好きな一人の老人がいた。こういう癖がついたのは、ごく些細なことであっても人間と接触するようなことがあれば、かすかながらしつこい嘔吐感に悩まされるからだった。いつからこの嫌悪感が始まったのか彼は思い出すことはできず、また、嫌悪感がなかったときのこともおぼえていなかった。少年の頃は、他の人々にはないように思われるこの嫌悪感に大いに悩んだものだったが、立派な教育を受けたので、彼はほかのことがらといっしょに「人間嫌い」という言葉をおぼえた。このラベルがやすらぎと勇気の両方を与えてくれるとわかったので、彼は、悪に名をつければ、たとえ悪を抹殺することはできなくても、それを無効にすることはできるだろうと思った。またその頃、数冊の本を読み、いろいろな時代にわたる何人かの偉大な人間嫌いとめぐりあった。そうした人々と精神的な交際をしていると、心がなぐさめられ、自分のきまぐれやあこがれや反感をはかる判断の基準ができた。さらに彼は、人間嫌いは人格を発達させるすぐれた手段だということを見出した。彼は嫌悪感を鎮めて、ときたま、だれかに触れたり、助けたり、忠告したり、友だちになったりした場合には、自分の行為を寛大だと考え、その意図を高貴だと思うことができた。何かの人間的な努力や欠点に怒りを感じた場合には、自分を、識別力のある潔癖な人間で、りっぱな深慮にみちているのだと考えることができた。
 人間嫌いの場合よくあることだが、彼は人間を軽蔑していたために、かえって人間に奉仕する職についた。また、仕事の性質がひとえに他人の信頼を得る能力にかかっているような仕事、もっとも親密な関係を必要とするような仕事にたずさわった。英国国教会の牧師を志したこともあったが、結局、それを棄てて、社会福祉事業員になった。しかし、時期と不運がいっしょになって彼にさからった。そして、最後には自由と満足の両方をもたらす職業に落ち着いた。つまり、「夢の判断者、忠告者、解釈者」になったのだ。それは、彼にぴったりの職業だった。時間は自分のものだったし、競争は少なく、顧客はすでに説得されていたので扱いやすかった。おまけに彼は、自分もその仲間入りをしたり、それによって傷ついたりしないで、人間のおろかさを目撃する機会や、肉体的な崩壊を見ることによって、自分の潔癖さを育てあげるおびただしい機械に恵まれた。収入は少なかったが、贅沢な暮らしをしたいとは思わなかった――僧院での経験が、生来の禁欲主義を堅固なものにする一方では、孤独癖を発達させていた。独身は安息所で、沈黙は楯だった。
 生涯を通じて、彼はいろいろな物にたいする愛着心を抱いていた――富や、美しいものの獲得ではなくて、使い古したものにたいする純粋な愛情だった。母親のものだったコーヒー・ポット、むかし住んでいた下宿屋の入り口にあったドアマット。救世軍の店のカウンターで買ったキルト、それは、まるで人間との接触にたいする軽蔑心が、人間が触れたものにたいする愛着に変わったかのようだった。人間にかかわるものでがまんできるのは、無生物の表面を汚した人間の魂の名残だけだった。たとえば、マットを踏んだ人間の足取りの証拠について熟考し――キルトの匂いを吸いこみ、多くのからだがその下で汗をかき、眠り、夢を見、愛を交わし、病気になり、死にさえしたという甘美で確かな思いにおぼれること。彼は行く先々にそうした物をたずさえて行き、いつもほかの物を探した。使い古された物にたいする渇望のおかげで、何気なく習慣的に、路地奥のごみ入れの樽や、公共の場所におかれた屑かごなどを調べてみるのだった……。
 おおむね、彼の性格は一つの唐草模様を呈していた。複雑で、均斉やバランスがとれ、構造は緊密だったが――一つだけ欠点がある。この注意深く織られた模様は時折、まれではあったがはげしい性的渇望のために、ひどくそこなわれるのだ。
 事情が許せば、彼は積極的な同性愛者になったことだろうが、勇気が欠けていた。獣姦などは心に浮かんだこともなく、男色はまったく問題外だった。彼は持続した勃起状態を経験したことがなく、他人の勃起については考えることすら耐えられなかったからだ。その上、女のなかに入ったり愛撫したりすること以上に胸が悪くなるのは、男を愛撫したり、されたりすることだった。とにかく、渇望ははげしいものではあったが、肉体的な接触を楽しんだことは一度もない。彼は、肉と肉が触れることを嫌悪した。体臭や、息の匂いに圧倒された。目の端に乾いたものがこびりついているさまや、虫歯や抜けた歯、耳垢、にきび、ほくろ、水疱、ふけ――からだが起こすすべての自然な排泄作用や保護作用――は、彼を不安に陥れた。したがって、彼の注意は、もっとも無害なからだを持った人間――つまり、子供たち――に、しだいに向けられるようになった。そして、自信がなさすぎて同性愛に向かっていけないことと、小さな男の子たちは生意気で、驚きやすく、頑固なことから、彼はさらに関心の幅をせばめて、小さな女の子だけに注意を向けた。彼女たちはふつう御しやすく、魅力的なこともたびたびあった。彼の性欲はけっしてみだらなものではなかった。小さな女の子にたいする保護者ぶりには無邪気さがあったし、彼の心のなかでは清潔さと結びついていた。彼は、いわゆる非常に清潔な老人だった。
 淡褐色の肌に、シナモン色の眼をした西インド諸島人。
 彼の名前は台所の窓にかかった看板にも、彼が配った業務用の名刺の上にも印刷されていたが、町の人々はかれのことをソープヘッド・チャーチと呼んでいた。「チャーチ」の部分がどこから来たか知ってる人はだれもいない。たぶん、客員牧師――呼ばれてくるのだが、教会も所属場所も持たず、いつもほかの教会を訪ねて、主人側の聖職者と一緒に裁断の上にすわっている聖職者――をしていた時代のことを、だれかが思い出したのだろう。しかし、「ソープヘッド」の意味はみんなが知っていた――びっしり生えた、カールした毛で、石鹸の泡をポマードがわりにつけると、つやをおび、ウェーブが出てくるからだった。一種の原始的なやり方。
        トニ・モリスン『青い眼がほしい』大杜淑子訳 早川書房188〜191頁