(その七) 微笑

 彼女は煙草の煙を吐いて、その煙の中で微笑した。美しい歯だった。
「けさ、私が来るとは思わなかったでしょうね。頭はどう?」
「まだ、はっきりしない。全然予期してなかった」
「警察でしぼられた?」
「例のとおりさ」
「私、お邪魔じゃないの?」
「いや」
「でも、歓迎してもいないようね」
 私はパイプに煙草をつめて、火をつけた。彼女は別にいやな顔もしなかった。女はパイプを喫う男を喜ばないものなのだ。
「僕は君をかかわりにしたくないんだ。どうしてだか、分からない。しかし、どっちにしても、僕には関係のない事件になってしまった。警察では、僕に手を出すなというんだ」
「あなたが私をかかわりにしたくないと思っているのは、もし、私がなんとなくあそこへ出かけて行ったと云っても、警察で信用しないことがわかっているからよ。私は警察に呼ばれて、ひどい目にあうわ」
「僕の気持が、どうして君にわかる?」
「探偵だって、人間ですわ」
「もとは人間だったがね」
「今朝は皮肉になったのね」と云って、彼女は部屋のなかを見まわした。「どう、お仕事? お金になるの? あまり立派なお部屋とは云えないけど……」
 私は苦笑した。
「でも、私、余計なことに口を出さない方がいいかしら?」
「口を出さないでいられればね」
「あなたはなぜ、私をかばったの? 私の髪が赤くて、私が気に入ったからなの?」
 私は何も云わなかった。
 彼女は朗らかに笑った。
「あの頸飾りの持主を知りたくない?」
 私はからだを緊張させた。咄嗟のことで、どういうわけかわからなかったが、すぐ、その理由がわかった。私は頸飾りのことを彼女に一言も云ってなかったのだ。「大して知りたくない。なぜ?」
「私、知ってるのよ」
「そう」
「どうすれば、あなたは話がしたくなるの? 足の指でもくすぐるの?」
「そうなのか」と、私は云った。「君はそれを話しに来たんだね」
 彼女の碧い眼が大きくなって、濡れたようだった。彼女は下唇を噛んで、デスクを見つめた。それから、肩をゆすって淋しそうに微笑した。
   レイモンド・チャンドラーさらば愛しき女よ清水俊二訳 早川書房71〜72頁