2011-03-18から1日間の記事一覧

五つのプロット ジョニー・トー『PTU』(2003)

仮にあなたが映画監督だったとして、物語を組み立てるための短いプロットがいくつか思い浮かんだとする。これから作り出される映画の全貌は、その着手の段階ではまだまとまっていない。そこで、それが一本の映画にすべて収まりきるかは不問に付して、あなた…

(その十二) おどけた調子

昨日の朝、商店街でみかけた男。彼は初老で、仕立てのいいツイードのジャケットを着こなし、襟首はきれいに刈りそろえられていた。趣味のよさは人目でわかった。彼は職務質問を受けている真っ最中で、巡回中の自転車の荷台には薄いフェルト生地の工具入れが…

(その五十一) クルーク夫人

クルーク夫人は、義捐興行のためにいくつかの新しい歌を披露し、また、ニ、三の耳新しい洒落を飛ばした。しかしぼくが完全に彼女への魅力に捉えられていたのは、幕あきの彼女の歌のときだけだった。それからあとぼくが最も強力な関係をもったのは、彼女の姿…

(その五十) 娘たち

娘たちの教育、すなわちその成長や、世間の決まりに慣らしたりすることに、ぼくはつねに特別の価値を置いてきた。そういうときは彼女たちは、自分たちをほんのちょっとだけ知っていて、自分たちとちょっと話をしたいと思っている人間を、もはやそんなににべ…

(その四十九) 独身者

独身者の不幸は、それが見せかけのものであれ現実のものであれ、周りの者からいともたやすく察知されるので、彼が秘密を楽しむために独身者になったのだったら、きっと自分の決心を呪うだろう。なるほど彼はぶらつくとき、きちんとボタンをはめた上着をきて…

(その四十八) 工場の娘たち

きのう工場で。この娘たち――だれの目にも耐えがたいほど汚れただらしのない服装で、髪は目を覚ましたときのように乱れ、そしてその顔の表情を、伝導装置のたえまない騒音や、自動式だが数え切れないぐらいよく止まる個々の機械にしっかり摑まえられている――…

(その四十七) 悪魔

悪魔について。もしわれわれが悪魔にとり憑かれているとしたら、それは一人の悪魔ではありえない。なぜなら、もし一人だとすると、われわれは少なくとも地上においては、平穏に暮らしているだろうからだ。ちょうど神とともに暮らしているように、まとまって…

(その四十六) チシク夫人

チシク夫人(ぼくはこの名前を書きとめるのがとても好きだ)は、食事のとき、ガチョウの焼肉を食べている間でも首を傾ける癖がある。まず注意深く彼女の頬の上を彼女のまぶたのところまで眺めてゆき、そこで体を小さくして滑りこむようにすると、彼女のまぶ…

(その四十五) 俳優

俳優たちは《われ考える、ゆえにわれあり》じゃなく、逆に《われあり、ゆえに我考える》と考える。 ジャン=リュック・ゴダール「一周しおわって――アラン・ベルガラによるジャン=リュック・ゴダールへの新しいインタビュー」(『ゴダール全発言・全評論Ⅲ198…

(その四十四) 浜崎一等兵

浜崎は忘れられない戦友である。何という名の学校であったか、大学の名は知らないが、浜崎は大学を出ていたのに、幹部候補生の試験を受けなかったのか、受けたが合格しなかったものなのか、とにかく一等兵であった。きつかね、というのが体力のない浜崎の口…

(その四十三) 竹下登

竹下登を評して最も有名な言葉は、「言語明晰、意味不明瞭」である。平気でなにかを言ってはいるが、言っていることに内容がない。もっともらしい言葉を並べて、内容のないことをごまかしている――そのことに羞恥心のかけらもないという人物である。大学出の…

(その四十二) レンブラント・ファン・レイン

絵画に関しては、この二十三歳の粉屋の息子は描くことを心得ていた、それも見事に。三十七歳になると、もう、どう描いたらよいかわからなくなるだろう。今から彼は、すべてを学ぶだろう、ほとんど不器用なほどためらいつつ、名人芸に飛び込むことなどけっし…

(その四十一) フランツ・カフカ

彼はほかの人が反応するように反応しなかった、彼は反訴をもって告訴を撃退しなかった。彼の敏感さから考えて、彼が自分に対して言われたことを全部心にとめて感じていることは、ほとんど疑う余地がない。またそれは、この場合手近な一つの言葉で言えるよう…

(その四十) パーマー・エルドリッチ

船内から、パーマー・エルドリッチが姿を現した。 それがエルドリッチであることは、だれの目にも明らかだった。冥王星での不時着事故いらい、伝送新聞が彼の写真をとっかえひっかえ載せたからである。むろん、その写真は十年前の古ぼけたしろものだったが、…

(その三十九) ナポレオン・ボナパルト

ナポレオンは、なりあがり者の常として、あらゆる種類の民主主義を憎悪してはいたが、また同じ理由からほとんどすべてのフランスの労働者から好感をもってむかえられていた。この場合にも、工業の繁栄、行政の秩序と公正および軍隊における出世の可能性がと…

(その八) ジャン=リュック・ゴダール(2)

デュラス あなたのあの映画[『右側に気をつけろ』のこと]はとても美しい。 ゴダール あなたは讃めるすべを心得ている。でもぼくは、むしろけなす方を心得ている。 デュラス でもそう考えていないのなら、いつもきまってけなしたりすべきじゃないわよ。…… (中…

(その三十八) カミーユ・クローデル

ロダンとの出会い以前にすでに偉大な芸術家であったカミーユ・クローデルは、早くも一八九五年にはその作品の価値を、残念ながら愛好家たちは除外するとしても、少なくとも、もっとも慧眼な批評家たちに認めさせた。そしてそれ以後、彼らは彼女にたいする賛…

(その三十七) エドガール・ドガ

ドガは、ほとんどどんなことにも優しい態度を示さず、批評や理論に対して寛容になることはまずなかった。彼が好んで口にした言葉、晩年にはくどいほど繰り返して語っていた言葉はこうだった、――ミューズたちはけっしておたがいに議論したりしない。彼女たち…

(その三十六) アルベール・カミュ

どんな作家もその名に値する人ならば、或る秘密を、洩らすのではなく、打ち破る声を育てるものだ。《沈黙は、私にとって、詩それ自体だ》とヴィニーは言っている。カミュの作品は、他のいかなるものより沈黙の娘だ。実際、彼が自分の思い出をできるだけ遠く…