(その百十三)リバプールスイート吉永

 リバプールスイート吉永の闘争的な性分は、けんかっ早い短命さで発揮されることがなかったために周囲の眼につきにくかったが、だれもが彼に一目置かざるをえなかったのは、目には目を、歯には歯をという前論理的な復讐の思考をすっかり血肉としていたからだった。彼の考えはシンプルだ。だれであれ不正を犯すことは許されないが、不正が常態と化したところでは誰であれ不正が許される。なぜなら、不正に対してもっとも効果的な戦略は不正で返すことだからだ。不正のなかでは正義はそのようなかたちでしか存在しない。不正は返された不正を受けとることができない。不正の不正たる所以は、いかなる場合でもおのれを不正と認めない点にあるからだ。そう考えた彼は、大きな不正が見のがす小さな不正や、大きな不正が黙認せざるを得ないような不正を行う道を極め、組織に対して徹底して我を貫いた。能ある鷹は爪を隠すが、隠した爪は鋭くなければ意味がない。慎重であるためには大胆でなければならず、大胆であるためには気づかれてはならない。注意力が凝り固まらずに発散されたときこそもっとも集中している状態を保つことができることを体感として知っていた彼は、不正にすっかり身を委ねる術を学んだ。彼が道を誤ったのは、自分が受けた侮辱をそっくりそのまま相手に返すことができると過信した点にあるが、つねに自分よりも大きな敵にしか牙を剥かなかった事実は賞賛に値する。